kenoブログ

**ママ会いたいよ**

連休キライ

休みだからだね。1日で2回目の記事だ。


 連休はカラダ休めるってことではありがたいけど、精神衛生的にはちょっとなあ、な面がある。
 孤独感が増してしまうんだ。かーちゃん死後ほどなく猫2匹も譲渡でヨソに行ってしまったし。ひとりぼっちさ。
 仕事してれば孤独感のヒマないし。土曜日曜くらいの単純連休なら休むことと休みにやらねばならないことで過ぎてしまうから孤独感は来ないよ。
 4連休となると、ガランとした部屋の空間がそのまま心の空白になっちまう。脳がエラーだよ。認識理解不能。かつての日常映像を脳内再現はできるが、現在のリアルは認識不能。だもんで精神衛生的によろしくない。


 明日は礼拝。教会も、耳がこれだと残念だ。正直なところ。やっとコロナの制限もほぼ解除で人との交わりも解禁になったけど、礼拝終わったら覚えてくれた人に手を振ってさよならだけだし。
 などなどで、連休はあまり好きではない。
まー、やりたいことがたくさんあった若い時なら違うんだけど。


 さっき「3Dプリンター」を検索してた。
この製品は自分の人生・年齢時期と微妙にズレたんだ。
 普及がもう少し早く、子供らが中高生時代に来てれば間違いなく買った。高くても。
なにしろ男の子2人は3Dソフトを扱うことができた。アニメも作った。自分で3Dソフトウエアを駆使して作ったオブジェクトが現物の物体として手に取ることができるのだから、こんなおもしろい機械(オモチャ)はない。
 遊びではない。頭が、脳に良い影響がある。立体形状の創作。学校の勉強とは別でアタマよくなるってこと。プログラムもやってる下の子なんか何を発想し作っただろうか。


今ならこれほしいな。flashforge の Adventurer3 Pro 10万円以内。

自分で3Dモデリングして、それを現物に。
 サンプル画像


 でも時期がずれてたんだ。3Dプリンターが家庭に普及し始めたのは子供らがみんな出て行ったあとだ。ウチはその後、猫と暮らすために引っ越し。私は耳の障害者手続きで手帳もらって。とかやってるうちに3Dプリンターを購入するタイミングを失った。私の脳も、もうそういうモノへの関心度が低下した。
 おいて行かれてしまった感がある。3Dプリンター。ちょっとくやしさがある。
今からでもその気になれば買って、使える。でも何作るの。それで目を真ん丸にしてはしゃぐ子らが身近にいないから、やる気も出ない。


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 最近、世の言葉で、ひでえなあと思うのが「親ガチャ」。クリスチャンから見ればこれはもう「悪魔的な言葉」です。聖書では「親を敬(うやま)いなさい」が、旧約ではモーセの十戒にある。新約聖書でも親を敬うことを命じられています。
 で、親選べないからと、何が、って思うとき、カネじゃん。結局。親を選べないとカネ持ちになれない。なんと貧弱で短絡的発想。洗脳された固定観念。親を運不運のモノ扱い。
「生まれてくる子にそう言われるのがつらいから子をつくることに躊躇」という記事がUPされていた。そう考えてしまう人ならそのほうがいいのかもと思う。残念な思考回路だ。


 思ったね。昭和33年うまれの私は。
「親ガチャでハズレ」なんて言う子は学校ガチャや担任先生ガチャなわけで、入試の問題ガチャから就職ガチャで果ては会社ガチャ上司ガチャでしょ。
 自分を反省なんかしない。創造力もない。すべてガチャで人のせい。環境のせい。マトモな仕事なんかできるはずもない。あわれだ。


 私は「国ガチャ」で、すげーラッキーな「日本」を当てたから、なーにも文句言えないけどね。あの国とかに当たってたら、「国ガチャではずれました」って言うのかな。行方不明者になるよね。再教育されるかも。
 私はなにしろイエス様のおかげで神様に知られる身分になってる。これ以上の幸いはないです。これも日本に生まれたことのありがたさです。イスラム圏や東側とか独裁国家に生まれてたら。


「親ガチャ」ならば、私は新興宗教草加の家に生まれたんだよ。母親は毎日父をひどい言葉で罵(ののし)り、私にはビンタを毎日くらわした。その果てが校舎からの飛び降りだ。高校は中退で中卒になった。でも、それらすべての経過があって、神様イエス様を信じることができて、妻と出会い、40年幸せに暮らし、子供らは平安のうちに世に出ていき、そして妻はイエス様のもとに召された。
 もしもこの世的に程度の高い家庭に生まれてたら、まずイエス様を信じることはなかっただろう。
 私に、ネがマジメな面があるのは父母のおかげだ。古い人間、時代だったから両親ともタテマエ上は道徳の教科書みたいなことを(時々とかたまにですが)言っていた。私はそれを受けとめていた。ふざけた若者だったけど、ネはマジメそうってことで出会った彼女(妻)は私を選んでくれた。私は両親が新興宗教やってたもんで「神はいない」という考えはまったくなかった。「どの宗教が本物の神をおがんでいるのか」だった。
「全知全能、万物の創造主なる神様。いるなら答えてほしい」と呼んだら、ちゃんと神はご自身のもとに導いてくれた。 
 家庭環境が元で自殺未遂した私だったけど、両親を敬いなさいの命令に従うことは難しいことではなかった。先にイエス様が私のために十字架にかかってくれていたんだから。


 みなさんにひとつ。神ガチャ、まちがわないように。これはガチャじゃなくて、自分の意思で選択するものです。けして運不運のガチャではありません。自由意思による選択です。


 みなさまに平安がありますように。


フロ(シャワー)はいって寝ます。
 ・・・それにしてもなんでオレはアホなんや。いいトシこいて。

教会への献金

これって、以前もちょっと書いたことあるはず。


 まず大前提として、自分の意志でちゃんと理解したうえで信じたのでないならば、教会では献金する必要ありません。


 どっかの新興宗教みたいに「たくさん捧げれば捧げるほどご利益が返ってくる」なんてことはありません。キリスト教会では、イエス様を信じてから自分で決めた金額を捧げればいいんです。逆に言えば、人から言われなくても自分から喜んで神様に捧げるくらいにちゃんと信じてる状態になるまでは、まったく献金する必要ありません。興味があって教会の礼拝に出席したときに献金の袋(カゴだったり箱だったり立って前に出て行ったりいろいろですが)はスルーしてください。


 聖書的にそれはまちがいないです。
「よく考えもせず信じたのでないなら」とあります。
教会や人によっては「ただ信じればいいんです」と言うことがありますが、それは違います。「ただ信じればいいんです」ならば新興宗教でも同じこと言ってます。何が違うのかをちゃんと理解してからです。


 また、聖書では神様は喜んで捧げることを要求しています。
最上のものを捧げることを神様は喜ばれます。
 信じた者に対しては決められた割合の額というのもありますが、それに対しては「こうしてわたしをためしてみよ」と書かれています。
「神をこころみてはならない」と書かれていますが、この月ごとの一定割合の献金については「ためしてみよ」なのです。ほんとかどうか、この献金についてだけは「特別に」神様をためしてもよいと書かれています。これは教会での定番メッセージでもありますので、長年教会で礼拝を守ってる人々には「耳タコもの」のメッセージです。でもこれは信じる者に対してのことです。


 ただね、オトナだと理解や分別というのもあって、
「キリスト教会だってカネはかかってるだろう。会堂の維持費も牧師給料も」ということからとりあえず千円とか入れるのはアリです。その理解は神様が喜んで認めてくださると信じます。子供や学生だと「キリスト教でもおかねとるのか」なんて思ったりしますね。


 私の場合、たとえば神様によって今の仕事に導かれたことは

ここに書きました。
 職安の障害者求人は特別なスキルが無い限りほとんどがほぼ最低賃金です。


信じる者の特権である月定献金を、私は記憶の限り欠かしたことはありません。
 信じたのは24歳ころ。
おおざっぱな計算で、この一定割合額の毎月の献金の今までの合計。とりあえず高級車買えます。私は高校中退の中卒で現業系の仕事してきた者ですので収入は知れてますが、それでも40年継続してますので高級車くらいにはなります。


 こういう話をすると、多くの方々は「キリスト教をやるといくらかかるのか。月の相場はいくらくらいか」と思ってしまう。
 なのでほとんどのクリスチャンは献金の話はしません。
最初に書いたとおり、「いくらかかるか」と思ってる限りは1円もかかりません。捧げる必要ないからです。自分から「神様にお返ししたい」と思うようになるまで献金しなくていいです。神様は心を見ています。聖書的には自発的でない限り神様が喜んで受け取ることはないでしょう。


話を戻して、「こうしてわたし(神様)をためしてみよ」の献金。
 今の仕事に就くとき。職安の最低賃金の中から探したのと、今の仕事、比較になりません。聴覚障害者で探して、今の給料の仕事なんてありません。教会への月定献金分を差し引いても話になりません。つまり神様は約束を守ってくださっています。
そのまえの就職のときも、まえのまえも、求職就職はすべてです。全部記事(「経験体験」カテゴリにあります)でUPしています。
カルト団体を無一文で脱出したときの記事も、あのとおりです。


 もし献金をしなかったら。最低賃金や、合わない仕事だったり、事故とか病気、とにかくなにがあるかわかりません。
 私は自分に関しては、神様の「こうしてわたしをためしてみよ」の約束をしっかりちゃっかり受け取っています。
 子供3人ちゃんとそれぞれ幸せに暮らしています。妻はやりたいほうだい楽しい人生送ってそのまま天国行きました。


 神様は約束を守られるかたです。
「わたしが言い送ったことばがむなしく返ることはない」と主は言われました。
天から降る雨が地をうるおすように、と。


 ただしこれは信じる者の特権です。イエス様を救い主として受け入れ、信じ、神様と和解して、神様の願う生き方をしようと決めた者に約束されています。


かーちゃんもね、「子供ら大きくなったから私も働こうか」ってとき、ハタチのころ働いてた「銀行」に応募して就職したよ。パートだったけどトントン拍子で時給上げてもらえた。フルタイムになってからは賞与月は私より多かったよ。さすが銀行、と思った。


 おかげでたまに近場の1泊旅行とか冬はスキーに。猫も飼えた(買えた/スコティッシュ)し。かーちゃんはゲーム機何種類も買った。浪費・・・。


 ご利益、じゃないです。神様の秩序であり恵みであり約束です。
それらすべてはイエス様の十字架の犠牲のうえに成り立つものです。
 神様は宗教じゃなくて、生きておられます。

失敗の体験談

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりにあなたがたも量られるからです」


クリスチャンにはおなじみの聖書のことばです。


 私は、上の子らに厳しすぎた反省から、末の子には少しゆるく教育していました。
 たぶん高校に行くようになった頃と思います。
「反抗期」というほどではなかったですが、すなおには言うことをきかなくなりました。
 言ってもスルーだったり、2、3回言うとしぶしぶ従うとか、「めんどくさいけど仕方がないから」という態度だったり。


 あるときわたしはしびれをきらして、神様にこう祈りました。


「主よ、あの子は言うことをききません。親に反抗とか暴言を吐くことはないですが、私の指導にすなおに従いません。ときに不満を態度にあらわします。主よどうか彼にきびしくしてやってください。
 私はいつもあなたの言葉(聖書)に立って指導や注意をしているつもりです。
  どうかガツンと、厳しくしてやってください。そうすれば彼は、神の言葉の何たるかを思い知るでしょう。神の言葉に反抗すると痛い目にあうことを学ばせてやってください」
とまあ、こんなかんじの祈りでした。


 その後、主は、私が祈ったそのままを、私に向けたのです。
仕事はとてもつらくなり、ささいな失敗も上司につっこまれ、客先からの視線も厳しくなりました。ヒヤリとする場面も多くなり、心が殺伐(さつばつ)として、平安がなくなりました。そしてそれらのつらいできごとは、自分が聖書に忠実ではない数々のことが原因で起こっていることがわかるのです。


 数日後、私はたまらず神様に祈りました。


「ああ主よ、すみませんでした。あなたに用いられた聖徒らで、まちがいをしなかった聖徒がいるでしょうか。モーセでさえまちがいを犯してしまい、祝福の地に入ることができませんでした。
  ましてやこの、しょうもない私などは失敗ばかりです。どうか私が「ガツンと、神の言葉の何たるかをあの息子に思い知らせてやってください」とお願いしたあの祈りを取り消してください。
  どうか彼にやさしくしてあげてください。あなたの愛でさとしてあげてください」と。


神様はその祈りを聞き届けてくださり、私への厳しい要求は、やみました。


そうして私は、冒頭にあげた神の言葉の何たるかを思い知ったのでした。
 さばくとおりにさばかれるという聖書の言葉は真実であると。


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下の子。この写真は中学生のときだったと思う。

鈴鹿サーキットは坂がキツかったです。


私と交代しながら4時間耐久。最終走者、ゴールは息子に。楽しかった。

 就職し、数年後には大阪勤務。息子はこの時の経験から、仲間集めて再びこのイベントに参加した。そのときはマウンテンバイクじゃなくてロードでした。

音楽制作ソフト・DTM

午後、ネットふらついててたまたま、なつかしいソフトウエアのページに迷いこんだ。これは最新の情報。

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 「Singer Song Writer Lite」初期のを愛用していました。
20年くらい前になるのかな。
 当時の取説。写真に撮っていた。

Windows95/98対応だった。
 当時、パソコンの普及とともにとても魅力的なソフトウエアが次々と発売されました。これもそのひとつ。
 音符読めなくても自分で思いついたメロディがじっさいに曲になる。


 青春時代はバンド。エレキギターやシンセをカセット4トラックマルチで多重録音してた者なら絶対買いのソフトウエアでした。
 ウチの初代PC、富士通で。

富士通は高かったけど買って正解でした。なんとYAMAHAのXG音源をマザーに搭載していました。なのでDTM始めるにあたって別のハード音源を買わなくてもいけた。

 この音源チップにピアノやエレピはじめストリングスやブラスなど100音色くらいだったかな。それにドラムも何種類か、さらにリバーブやコーラスなどエフェクト類も。
 YAMAHAのXG音源はコスパ最高の定番音源でした。


Singer Song Writer Lite 当時の画面表示。


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 一瞬、「最新版か。欲しいな」と思ったものの、アカンやんか。耳が死んでる。
悔しさ悲壮感絶望感ってのは無いよ。ぜんぜん。もう慣れてる。
「耳が生きてたら、あるいは神様の奇跡で完治したら、シンセもギターも買って、ガンガンやるのにな」とは思ったけど。


あのころのほんの一部。これのBGMに使ってる。

RailSim_1 初期のもの


 そんなこんなで明日からまた仕事だ。がんばろ。

会社の健康診断

10月なんだけど。
 それまで生きてるかなオレ。
電話できないから自分で近所の病院でとか、市のガン検診とか行けない。


 会社の健康診断の案内が来た。
会社にお願いした。
「その日は私は休みにしてください(通常はアサイチに健康診断受けてから現場に行く段取り)。費用自己負担でオプションのその他検診をついでに受けます。電話できないので市のガン検診とか受けてないので今回ひととおり受けておこうと思います」と。


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 ちょっと環境の変化でここの記事UPが停滞気味になっていました。
内容とか近況について書いていいものか躊躇しておりました。
 人や団体のかかわりの中で。


もーめんどくさくなったので従来通りアホなままでいきます。
 けっこうね、人ってむずかしいよね。
自分はそーとーいい加減な人間だけど。
 尊敬する、まじめで分別がありアタマよくて、さらに徳もあるような立派な人が「え?」だったこととか最近いろいろありまして、ここにUPする内容を考えておりました。


 もーどーでもいーです。アホらし。結局のところ自分と神様の関係が土台だから、あとはもうテキトーに自分なりにマジメに(できる範囲で)してればいーや。


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今日は休みでした。久しぶりに肉買った。
 大きいパックで買ってきてウチで小分け。まな板と包丁。ネギも買ったのでカットして。野菜室はこれだけ。

きゅうり3本。のみ。
 今日はフライパン出します。


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ママ、自転車では減量できなかったね。


行っちゃった。