男女の。
夫婦関係も基本は聖書にあるとおり。
それを崩せば当然、うまくいかない。
不幸を刈り取ることになる。
これはあくまでもクリスチャンの認識であり、この世のモノサシでははかれない。
「世と分離せよ」が神の言葉。
2コリント6:17
「それゆえ、彼らの中から出ていき、彼らと分離せよ、と主は言われる。けがれたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ~」
ローマ12:2
「この世と調子をあわせてはいけません~」
などなど。
地上の人間の感情は悪魔にふりまわされている。
エペソ6:12
「~この暗闇の世界の支配者たち~」
ヨハネ16:11
「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです」
などにしるされているとおり、彼ら悪霊は人の感情に悪いものをもたらします。
人の罪の性質として、
ガラテヤ5:19~
「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、けがれ、情欲、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興~」
マルコ7:21~
「内側から、すなわち人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ~」
など。
妻は夫に従いなさいが聖書の基本。
ただしこれは神からの戒めを受けて「わたしたちは神の教えに従います」という関係の(聖書時代の)イスラエルの民に対してです。
聖書の時代、とくに旧約聖書においては、戦争に明け暮れてました。
戦いに行くのは男です。女は城壁の内側の街にとどまって家庭を守っていました。
また、仕事においても主力は男です。
つまり男は働いて家族を養い、戦いになれば出て行って命をかけて街を守るのです。
(この基本は今も同じと思います)
女は家庭を守り子を育てます。食事を用意するなど男のサポートもします。
教会の女性はこの基本の関係を重んじてますので、平安で幸せな方々が多いです。もちろんそうではない人々もいますが。
神様が定めたのは、役割分担があっての平等なのです。
1コリント11:11~
「とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています」
昭和の終わりごろから、欧米流の「男女平等」が叫ばれ、死語ですが「ウーマンリブ」がありました。そして会社社会においても第一線で働く女性の台頭となります。
その過程で「専業主婦」をさげすむ声もありました。
なかには「専業主婦なんかいるから女性の地位が上がらない」というのも聞きました。
一方でこう言う女性もいました。
「専業主婦をバカにして、女性の地位向上には迷惑だという女なんかいるから、家で好きなことしたり余暇を楽しむことが悪いことのように見られる。あんな女は迷惑だ」
この女性は、私の妻で、クリスチャンです。
家事はヘタクソでよくサボってました。最低限の家事をさっさと済ませるとTVゲームをしたりマンガ描いてました。
でも子供3人育てました。夫(私)はしつけや教育はしましたが、じっさいに育てて成長させたのは妻でした。私は子供の世話という面ではほとんど役に立ってなかったです。
妻は、家にこもる時間が長くなりストレスがたまると、私に「どこか行きたい」と要求しました。
子供らが大きくなってからは、近場の観光地に1泊プチ旅行に行きました。冬はスキーに行きました。季節のドライブも行きました。行き先を決めるのも運転もすべて私でした。
役割分担でした。それで平等でした。
どちらもつらいことも楽しいこともありました。
それぞれでその種類は違ってました。
妻は夫婦関係において「女は損だ」と言ったことはありません。
夫婦喧嘩はひとなみにふつうにありました。互いに不平不満は言いました。
でも男女間の不公平は、記憶の限り、言ったことも聞いたこともないです。
話を振り出しに戻して。
男女、夫婦関係においても、聖書が神様のみこころであり、基本中の基本となります。
そこから外れればそれなりのリスクを背負うことになります。
なかにはそれでも乗り越えて、つまり女性でも「おみごと!」を成し遂げる方がいます。
私は自分がなさけない男なので、立派な働きをされた女性は尊敬します。
しかし一方では、不平をならし、男が悪いから自分はこうなったという女性もいます。
男は社会で生きてますので、失敗も困難も完遂できなかったことも、すべて自分の責任や能力が足りなかったとのだと認めます。これ、人のせいにする男は会社社会ではさげすまれます。もちろんできなかった原因の分析はしますが。
関係性を保つためには考えます。かけひきや取引です。こちらの損失と利益が妥協範囲におさまるかどうか考察します。
女性は、正義である自分が否定されれば邪魔をした悪玉を探します。できるできないは自分の力量しだいという認識は薄いです。
しかしこれは正論ではありません。なぜなら先に書いた「人の感情にあらわれる悪」のとおり、この世は悪魔・悪霊が人々をふりまわし、神の願う正しい秩序から人々を遠ざけているからです。正論は通りません。そういう世界に生きているのです。
聖書を神の言葉と悟り、イエスキリストを主とし、神の戒めを守ることを心にとめて生きている人は幸いです。
(参考として、聖書が教会の役職者に要求していること)
1テモテ3:2~
「ですから監督はこういう人でなければなりません。すなわち非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒のみでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子供を従わせている人です。~信者になったばかりの人ではいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。
執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で2枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。~執事は、ひとりの妻の夫であって、子供と家庭をよく治める人でなければなりません。~」
家庭を治めるのも神の前では男の責任なのです。
長くなるので今日は書きませんが、夫婦において、妻がクリスチャンで夫は神を信じない気ままな性格だった場合どう対処すべきか。
夫の場合もしかり、片方だけがクリスチャンには困難がつきまといます。
それらも聖書には書かれています。
今日はここまで。