行きました。
写真撮ってない。
日曜の午後に行ったのは久しぶりでした。
常連の顔見知りの方々とあいさつ。
みなさん私の耳がパーなのを知ってるから会釈程度だけど。
2時間半くらい滑ってました。
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今日の礼拝メッセージ(説教)で、主題への導入部分に、説教者が神学校に行くようになって神学校では何を学んだか、教えられるのか、どういうことについて勉強しなきゃならないのかを説明してくださいました。
キリスト教には教派教団分裂分派があるわけで、一番大きいのはカトリックとプロテスタント。
これはあまりにもハッキリ分かれてるのでプロテスタント側にいるクリスチャンにとってはカトリックの教理を意識することはほとんどありません。
それよりもプロテスタント側の中での、聖霊派(ペンテコステ系)と福音派のちがいを意識することのほうが多いです。
雑に乱暴にざっくり違いを言うと、聖霊派は奇跡や癒しや預言や悪霊追い出しだの悪魔や天使の話と聖霊の話などなど、霊的なことやイエス様が地上を歩いたときになされた奇跡的なわざは、そのまま現代もあるという立場です。
福音派は「そういうのは現代は無い」という解釈です。というか、タテマエでは「現代もありうるし否定はしない」としながらも事実上否定していて「そういう話は教会内でしてはいけない」ところが多いです。
で、今日の「神学校では何を教えてるか、学ぶのか」の話は私にとってとても興味のある話でした。
というのは私が初めて戸をたたいた教会は比較的おとなしい聖霊派でした。その後聖霊派の中でもかなり先進的な教えの教会にのまれて、霊的なことをいろいろ学びました。
その流れの中で、福音派の教会の聖書解釈が人間的な学問や教えに固まり、聖書の記述そのままに癒しや奇跡を受け入れることをしない原因は、聖書を「神学」という学問にしてしまったことであると教えられました。
知的な、たくさんの知識や聖書をとりまく周辺の学問や関連知識を集大成して「神学」という「人の学問」にしてしまったのが大きな原因のひとつだと。
その結果、組織として扱いやすくなり、たとえばエラい人とヒラ信徒の上下関係や教会の中での順位とか格付けなど。管理監督がしやすい環境になったと。
宗教としては理路整然で、そのじつ「神はいない」環境つくりに神学は都合がよいと。
私の記憶はそんなかんじでした。自分で調べたことはないし、べつにそれはどうでもいいことでした。でもそういう話を聞く機会がなかったので、今日の話は興味深かったです。
今日の話を聞いて「やっぱりそういうことをたくさん、びっしり教えられるんだな」と思いました。聖書そのものじゃないことをです。教会に関連した歴史や周辺知識から始まって、教会の運営や説教術に至るまで。聖書そのものについてはあらゆる「何々論」という聖書研究なども。
ひとつ思ったのは、私はかつて「ガッチガチの福音派」の教会で、自分の体験を話したら牧師から「そういうのはよくない」と言われて「?」になったことがありました。
それがちょっと、今日の話聞いててわかりました。
そのように人間的な、人の脳みその動きの範囲に合うように編集された聖書知識を詰め込まれた牧師にとっては「霊的な体験」はあってはならない邪道になるのだろうと。
かつて、ある熱心なクリスチャンから「神学は神を認めない学問だよ」と聞いたことがあります。「神は死んだ」が「神学」だと。
今日の話聞いてたら「なるほど」と思えてしまいました。
聖書読んで
「これだ!、これじゃんか!、これこそ本物の神だ。天地万物の創造主であり、救い主はイエスキリストなんだ!、癒しも奇跡も、死人のよみがえりも。イエスの名の前では悪霊どもは震えあがって退散する。そして信じた者は罪から解放されて神様とつーつーにしてもらえる。すごいことだこれは!」
と感動して教会の戸を叩いた私にとって、周辺知識や神学は
「んなもんあとでいいやんか。付録の知識じゃんか」でした。
信じて信仰で歩んで、聖書の言葉が現実となる体験をした者は、人の学問として体系化された知識を詰め込んでテストに合格し「晴れて牧師になりました」人物からはうっとうしい存在になるのはごもっともで納得です。
福音派の牧師や信者のなかには「聖霊派は異端」という人さえいますが、納得。
何の学問もなく、正規に学んだこともない信者が「神様からこんなすばらしい恵み、奇跡を受けました」と教会内で声を大にして言うことは「ぜったい許せん」ことです。
聖書の時代、律法学者やパリサイ人、祭司らがイエス様とその後の使徒たちを迫害したのとまったく同じ図式です。
とてもわかりやすいです。
というところに目(関心)がいってしまったので、説教の本題を覚えてない(こら!)。
今、聖書個所を開いてみた。聖霊の油注ぎだね。聖霊の導きによるクリスチャン人生だ。
さいわいなことに、私の行ってる教会は、オッケーですよ。
ただし秩序というものはあります。神は秩序や権威を重んじます。それはそのまま聖書に「神は混乱の神ではない」と(その他たくさんの個所に同様の言葉で)書いてあります。
なので無責任にやたらと「ウチの教会に来れば病気はなおります」とか「それは悪霊のしわざですから、この教会で悪霊を追い出してもらえば解決します」などとは言いません。
まずはカウンセリングからでしょう。イエス様を信じることがまず最初です(最後でもあります「わたしはアルファでありオメガである・最初であり最後である」と書かれてるとおり、救い主イエスを信じることがすべてを完結します)。
ああそれと、あと聖書そのものは読まなきゃダメですよ。神の言葉を守る、実践するのがクリスチャンで、神の栄光を見る者となります。
ということで、ポテトサラダです。

すでに半分近く食べました。
あさって完食になります。
次は何つくろうか。
羊肉のシチュー・・・
AIにきいてみた。
「羊肉のシチューはおいしいですか」
以下回答
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羊肉のシチューは、お肉の旨みがスープに溶け出して非常に美味しいです。
羊肉シチューの特徴と魅力
深いコクと旨み: 長時間煮込むことで羊肉から良質な出汁やコクが出て、深みのある味わいになります。
柔らかい食感: 煮込み料理にすると羊肉(特にラムや骨付き肉)の繊維がほぐれ、口の中でやわらかく仕上がります。
相性の良い食材: 玉ねぎや人参などの香味野菜、トマト、スパイス、ハーブなどと合わせることで、羊肉特有の風味がほどよく和らぎ、すっきりと美味しく食べられます。
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だそうだ。
大量のポテトサラダ。
満足できる量が欲しかったら自分で作るしかない。

スーパーの総菜コーナーにあるポテトサラダは少量パックで高くて味はそれなりだ。
私は料理はダメだが、レシピに忠実にやればおいしいのができる。
包丁も下手だから時間がかかる。
1時ころに帰宅し、昼めしの弁当食べて調理開始、最後のキッチン片付け完了まで3時間かかった。
ああシアワセだ。

かーちゃんといっしょに食べたかった。
キュウリ1本とニンジン2本とタマネギ2個とセロリが余った。
テキトーに消化しよう。
肉も補充した。

今日も197円「のり弁当」買った。
おもいきり攻めた値段だ。
カネスエ様ありがとうございます(写真は過去の)。

これ、ヨソはマネできんだろう。
利益出てるのか心配になる。

