この1か月くらいで性格が悪くなったと思う。
微妙なところだが、
つごうよく悪くなったのかもしれない。
「できっこねー」を追うのをやめて、
年齢なりと耳がパーに順応すべく、テキトーにいじけたり腐ったり切り捨てたりあきらめたりの一方で、やりたいことや何か利益になることを求めれば元気出るかも。
利益というのはカネを追い求めることではない。
聖書的に「分別をもって、カネを追うのはやめろ」とも「金銭を追い求めるのがすべての悪の根源」とも書かれている。
そうじゃなくて、たとえば時間がナンボでもあることが孤独感の助長にもなってるので、なにかしらの生産的作業に没頭できるならそれがよい。
やりたいことは、じっさいはある。旅行も3Dプリンターも猫飼うのも。
ただ、これまではキリスト者の理想像を自分に求めてたので、ムダ金を使ってはいけないとサイフを締めていた。これを多少ゆるめれば世界が広がる可能性はある。
もう理想像はムリとわかったのだから、解放しろってことだ。
そこに都合よく(?)性格が変化してきたのだ。
マジで悪くなってると思う。
たとえば人の善意や親切な誘いは断るようになった。
会話の中の些細なことがひっかかり、おもしろくないとストレスにしかならん。
イラっとするのが早くなった。
だもんで最初から、人と関わるのは避けるようになった。
リタイヤしてトシ食ったら、いいこでいる必要もなくなった。
聖書で「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」(箴言19:22)
とあるように、全体を通しては「神の愛」を説いている聖書でも、地上で生きてるあいだは、人が望んでるのは目に見えるかたちでの人からの愛であることを認めている。
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今日は何か月ぶりかで掃除した。
トイレが耐えられないほどの状態になったので、しかたなくトイレだけ掃除した。
そしたら「風呂もあれではイカンだろう」と風呂掃除もした。
掃除機だけやらずに放置するのも何なので、結局掃除機がけと拭き掃除もした。
ほんと、何か月かぶり。
気づいたのが、それでも独り暮らしだと、途中で掃除機が止まらないこと。
猫2匹とかーちゃん飼ってた(?)ときは、週1の掃除でもたまに止まった。
ゴミ(ホコリと猫毛)が満杯で止まったり、それらが詰まってモーター加熱で止まった。
つまり独り暮らしは汚れないってことだ。
ならば余裕でこの先1か月はだいじょうぶだ。
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スケートに行く回数がふえるかもしれない。
楽しいと思えることはすなおにやろう。
時間が余って鬱になるよりはやりたいことやったほうがいい。
「時間があるなら祈れ、聖書読め」を自分に課してきた。
ユルくいこう。性格も悪くなってきてることだし。
あからさまな罪を犯さない限りは範囲内だからテキトーにいく。
25歳ころ。


