kenoブログ

**イエスキリストは私の主です**

とりあえず教会に行ってみましょう

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 ミッションスクールの一貫校でしたか。

ならば、残りの人生のために今からでも教会に行ってほしい。

 ・・って、だれに言ってんだか。


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 スケート行きました。

今日は10時~13時まで。実際の滑走時間は2時間ちょいでした。

 帰りにカネスエスーパー寄りました。

 毎度のテキトー野菜スープ。大量に。

夕飯はカボチャとアジフライと野菜スープで。

カボチャは小皿4つに分けてます。

 アジフライ、2枚が最小単位。

以前は1枚パックがあったんだけど。

 ホッケの干物も2枚入り。

これも以前は1枚で売ってたのに。


 来週、もしかしたら東京千葉方面行くかも。

未定ですが。野田とか。

神が決めたこと

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 男女の。

夫婦関係も基本は聖書にあるとおり。

 それを崩せば当然、うまくいかない。

不幸を刈り取ることになる。


 これはあくまでもクリスチャンの認識であり、この世のモノサシでははかれない。

「世と分離せよ」が神の言葉。

2コリント6:17

 「それゆえ、彼らの中から出ていき、彼らと分離せよ、と主は言われる。けがれたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ~」

ローマ12:2

 「この世と調子をあわせてはいけません~」

などなど。


 地上の人間の感情は悪魔にふりまわされている。

エペソ6:12

 「~この暗闇の世界の支配者たち~」

ヨハネ16:11

 「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです」

などにしるされているとおり、彼ら悪霊は人の感情に悪いものをもたらします。

 人の罪の性質として、

ガラテヤ5:19~

 「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、けがれ、情欲、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興~」

マルコ7:21~

 「内側から、すなわち人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ~」

など。


 妻は夫に従いなさいが聖書の基本。

ただしこれは神からの戒めを受けて「わたしたちは神の教えに従います」という関係の(聖書時代の)イスラエルの民に対してです。


 聖書の時代、とくに旧約聖書においては、戦争に明け暮れてました。

戦いに行くのは男です。女は城壁の内側の街にとどまって家庭を守っていました。

 また、仕事においても主力は男です。

つまり男は働いて家族を養い、戦いになれば出て行って命をかけて街を守るのです。

(この基本は今も同じと思います)

 女は家庭を守り子を育てます。食事を用意するなど男のサポートもします。

教会の女性はこの基本の関係を重んじてますので、平安で幸せな方々が多いです。もちろんそうではない人々もいますが。 


 神様が定めたのは、役割分担があっての平等なのです。

1コリント11:11~

 「とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています」


 昭和の終わりごろから、欧米流の「男女平等」が叫ばれ、死語ですが「ウーマンリブ」がありました。そして会社社会においても第一線で働く女性の台頭となります。

 その過程で「専業主婦」をさげすむ声もありました。

なかには「専業主婦なんかいるから女性の地位が上がらない」というのも聞きました。

 一方でこう言う女性もいました。

「専業主婦をバカにして、女性の地位向上には迷惑だという女なんかいるから、家で好きなことしたり余暇を楽しむことが悪いことのように見られる。あんな女は迷惑だ」

 この女性は、私の妻で、クリスチャンです。

家事はヘタクソでよくサボってました。最低限の家事をさっさと済ませるとTVゲームをしたりマンガ描いてました。

 でも子供3人育てました。夫(私)はしつけや教育はしましたが、じっさいに育てて成長させたのは妻でした。私は子供の世話という面ではほとんど役に立ってなかったです。

 妻は、家にこもる時間が長くなりストレスがたまると、私に「どこか行きたい」と要求しました。

 子供らが大きくなってからは、近場の観光地に1泊プチ旅行に行きました。冬はスキーに行きました。季節のドライブも行きました。行き先を決めるのも運転もすべて私でした。


 役割分担でした。それで平等でした。

どちらもつらいことも楽しいこともありました。

 それぞれでその種類は違ってました。

妻は夫婦関係において「女は損だ」と言ったことはありません。

夫婦喧嘩はひとなみにふつうにありました。互いに不平不満は言いました。

 でも男女間の不公平は、記憶の限り、言ったことも聞いたこともないです。


 話を振り出しに戻して。

男女、夫婦関係においても、聖書が神様のみこころであり、基本中の基本となります。

 そこから外れればそれなりのリスクを背負うことになります。

なかにはそれでも乗り越えて、つまり女性でも「おみごと!」を成し遂げる方がいます。

 私は自分がなさけない男なので、立派な働きをされた女性は尊敬します。


 しかし一方では、不平をならし、男が悪いから自分はこうなったという女性もいます。

男は社会で生きてますので、失敗も困難も完遂できなかったことも、すべて自分の責任や能力が足りなかったとのだと認めます。これ、人のせいにする男は会社社会ではさげすまれます。もちろんできなかった原因の分析はしますが。

 関係性を保つためには考えます。かけひきや取引です。こちらの損失と利益が妥協範囲におさまるかどうか考察します。

 女性は、正義である自分が否定されれば邪魔をした悪玉を探します。できるできないは自分の力量しだいという認識は薄いです。

 しかしこれは正論ではありません。なぜなら先に書いた「人の感情にあらわれる悪」のとおり、この世は悪魔・悪霊が人々をふりまわし、神の願う正しい秩序から人々を遠ざけているからです。正論は通りません。そういう世界に生きているのです。

 聖書を神の言葉と悟り、イエスキリストを主とし、神の戒めを守ることを心にとめて生きている人は幸いです。


(参考として、聖書が教会の役職者に要求していること)

1テモテ3:2~

「ですから監督はこういう人でなければなりません。すなわち非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒のみでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子供を従わせている人です。~信者になったばかりの人ではいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。

 執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で2枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。~執事は、ひとりの妻の夫であって、子供と家庭をよく治める人でなければなりません。~」

 家庭を治めるのも神の前では男の責任なのです。


 長くなるので今日は書きませんが、夫婦において、妻がクリスチャンで夫は神を信じない気ままな性格だった場合どう対処すべきか。

 夫の場合もしかり、片方だけがクリスチャンには困難がつきまといます。

それらも聖書には書かれています。


 今日はここまで。

祈りが聞かれるために

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 っていうのを書き出しておこうと思う。

本来は、信仰に対する手引きとか取説、ハウツーものみたいなのは私はキライだけど。

 神様は方法論や方程式で動いてくれるわけじゃないから。


 今日は午前に教会で「祈り会」がありました。

祈り会といっても、限られた数名の熱心な信者が集まり、心をひとつにして神の前に涙をもって熱い祈りを何時間も捧げる、とかではない。

 とりあえず祈りの入り口を導き、そういう場を提供しようという主旨のもの。

ちょっとしたメッセージ(説教)のあと、2~3人のグループに分かれて、10~15分くらい祈るというもの。参加者は7~8人でした。

 そのあとで軽食でお茶会。雑談。


 私にとって、こういう場での雑談はとても重要。

日曜礼拝では、私はあいさつ程度。

 あとは各委員会などの会合で私には無縁。


 自由に話のできる機会はあまりない。

私は耳がパーなので、ふだん会話がないから教会のレギュラーメンバーの情報が少ない。

 自分の「祈りのファイル」におもだった方々の名前は書き留めてあるものの、それぞれどういう人かわからない。個人情報云々ではない。祈るためには何か問題があれば、また、礼拝に一緒に来ることのないご家族は救われているのかなどがわかれば、より具体的に神様に祈ることができる。

 個々人のほかに、教会のさまざまな事情や問題や行事や課題、将来のビジョンなどなど、何事についても私はふだんの会話がないので不足している。

 ま、それはそれとして。

 

 今日は祈り会で、そのあとに雑談の機会が与えられました。

聖書知識について語り合うことができました。

 ひとつ私から話しておければよかったかなと思ったことが、

「神様に聞かれる祈り」で、その秘訣みたいなもの。

 私は方法論はキライだと言いました。

しかし「良いものは分け合え」が神(聖書)の命令。

 神はそれぞれに(異なった)賜物を分け与えておられるというのも神の言葉。


 なので、祈るときのポイント。私の経験から。

「直(す)ぐな心」を神様は好まれる。

 聖書個所はたくさんあるんだけど代表的なのが、

詩編11の7

 「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る」

第一歴代誌29:17

 「わが主よ。あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています。私は直ぐな心で、これらすべてを自ら進んで捧げました。~」


それから「悔いた心」「砕かれ、へりくだった心」

詩編51の17

 「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたはそれをさげすまれません」

詩編34:18

 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」

イザヤ57:15

 「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである」

イザヤ66:2

 「わたしが目をとめる者は、へりくだって心砕かれ、わたしの言葉におののく者だ」


罪があれば悔い改めてからとか信仰をもってとかほかにもいろいろあるんだけど、とにかくまずはこれというのが、正直(直ぐ)でへりくだった心で祈ることです。

 ほかの要素については、聖書知識があるていど必要だったりするのですが、この「まっすぐな心で正直に」というのは誰でも理解できることです。


 でもね、人の世の社会で生きる人間には難しいかもしれない。

イエス様が「子供のよう(に純粋な心)でなければならない」と言われたとおりです。

 人に何かをお願いするとき。

社会で仕事で取引で、なんとか聞き入れてもらって、こちらの願うことを達成したいときには「どのように言うか、相手の心に響く、訴え方はどうすればいいか」を考えます。

 そういう習慣がついてしまっています。

ところが相手は神様なんです。

 こちらの心の内はすべて知られてるのです。

へブル4:13

 「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」

詩編139:4

 「言葉が私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそのすべてを知っておられます」

なので神にどう取り入ろうかなどという愚かな考えは捨てて、自分でも認めたくない自分のエゴや卑(いや)しさや屁理屈も捨てて、ただひたすら真っ正直に神の前に出て、へりくだって、イエス様の御名を通してお願いすることです。

 これが私の経験上、神様が喜ばれる祈りです。

祈る前に神(聖霊)様から示されたこと(罪)があればすなおに悔い改めてください。

イザヤ59:1

 「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。あなたがたの咎(とが)が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(他マルコ11:25など同様の参考箇所多数)


ここまでにしておきます。

 ナンボでも長くなるので。

乗り鉄しようか

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 気分転換が必要になった。

マジでもうもたん。


 障害者手帳で普通運賃が半額になるから、たまに乗り鉄しようと思う。

片道100km以上の条件で半額。

 普通運賃のみ。特急料金などは別。


 なのでちょっと調べてみた。

名古屋から100km以上の駅。

 浜松が108.9kmで1980円。

自販機ではなく、窓口で手帳を提示して切符を買えばこの片道料金で往復できる。

 京都147.6kmで2640円。

 中央線、木曽福島が133.1kmで2310円。

 高山本線、下呂が101.1kmで2030円。

 北陸の敦賀、125.8kmで2310円。

 紀伊半島に向かって、伊勢市117.4km で1980円。

などになる。

 このくらいの距離なら各駅停車でじゅうぶん行ける。

東海道線などは快速もあるので速い。


 趣味にしたことはないが、トシ食っても男の子だから電車に乗るのは好きだ。

気分転換にはいいと思う。

 所によっては観光地や駅弁の楽しみもある。


質素な年金暮らしだからカネのかかる趣味はできないが、この程度なら大丈夫。

 たまにふらっと出てみよう。


妻がまだ生きてたころ浜名湖へ1泊。普通電車でした。弁天島駅。

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 フェリー旅は日数もカネもかかるが、それはいい。

何度も計画しながら行けてない原因は、結局ストレスになって後悔すること。

 耳が聞こえないと風も波もありゃしない。

出港の汽笛も港の音もない。

 乗船のさいは係員からの声かけが「いらっしゃいませ」なのか、何か必要な声をかけられたのかをこちらから確認しないといけない。

 船内放送でレストラン営業開始の時間案内や、見どころとなる同じ会社のフェリーどうしの対航(洋上でのすれちがい)も船内アナウンスがある。航路によっては大きな橋の下をくぐるときも案内放送があったりする。

 フェリーは延着だけでなく、海流や風に押されて早着となることもある。その放送も聞けない。万が一の緊急放送となればほんとにヤバい。

 鳥のウミネコはフェリーの客がおつまみやスナック菓子をくれることを学習している。甲板の手すりにとまって待つんだ。接近しても逃げない。エサなしで手を伸ばすと逃げる。

 ウミネコの鳴き声も無い。乗り物や宿泊や買い物、あらゆる場面での人との会話に気をつかう。ちょっとしたトラブルがあったらキレるかも。

 ということで、なかなか本気で行く気になれないでいる。

そのうち奇跡が起こって、一緒に行くのが現れたら行く。

 おしえてくれる同行者がいればこれらはほとんど気にしなくて済む。


 何度も計画はしてるが。

 若いころ、かーちゃんと日本海フェリーで北海道に行ったのは楽しかった。