失敗の体験談
「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりにあなたがたも量られるからです」
クリスチャンにはおなじみの聖書のことばです。
私は、上の子らに厳しすぎた反省から、末の子には少しゆるく教育していました。
たぶん高校に行くようになった頃と思います。
「反抗期」というほどではなかったですが、すなおには言うことをきかなくなりました。
言ってもスルーだったり、2、3回言うとしぶしぶ従うとか、「めんどくさいけど仕方がないから」という態度だったり。
あるときわたしはしびれをきらして、神様にこう祈りました。
「主よ、あの子は言うことをききません。親に反抗とか暴言を吐くことはないですが、私の指導にすなおに従いません。ときに不満を態度にあらわします。主よどうか彼にきびしくしてやってください。
私はいつもあなたの言葉(聖書)に立って指導や注意をしているつもりです。
どうかガツンと、厳しくしてやってください。そうすれば彼は、神の言葉の何たるかを思い知るでしょう。神の言葉に反抗すると痛い目にあうことを学ばせてやってください」
とまあ、こんなかんじの祈りでした。
その後、主は、私が祈ったそのままを、私に向けたのです。
仕事はとてもつらくなり、ささいな失敗も上司につっこまれ、客先からの視線も厳しくなりました。ヒヤリとする場面も多くなり、心が殺伐(さつばつ)として、平安がなくなりました。そしてそれらのつらいできごとは、自分が聖書に忠実ではない数々のことが原因で起こっていることがわかるのです。
数日後、私はたまらず神様に祈りました。
「ああ主よ、すみませんでした。あなたに用いられた聖徒らで、まちがいをしなかった聖徒がいるでしょうか。モーセでさえまちがいを犯してしまい、祝福の地に入ることができませんでした。
ましてやこの、しょうもない私などは失敗ばかりです。どうか私が「ガツンと、神の言葉の何たるかをあの息子に思い知らせてやってください」とお願いしたあの祈りを取り消してください。
どうか彼にやさしくしてあげてください。あなたの愛でさとしてあげてください」と。
神様はその祈りを聞き届けてくださり、私への厳しい要求は、やみました。
そうして私は、冒頭にあげた神の言葉の何たるかを思い知ったのでした。
さばくとおりにさばかれるという聖書の言葉は真実であると。
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下の子。この写真は中学生のときだったと思う。
鈴鹿サーキットは坂がキツかったです。
私と交代しながら4時間耐久。最終走者、ゴールは息子に。楽しかった。
就職し、数年後には大阪勤務。息子はこの時の経験から、仲間集めて再びこのイベントに参加した。そのときはマウンテンバイクじゃなくてロードでした。