kenoブログ

**ママ会いたいよ**

教会への献金

これって、以前もちょっと書いたことあるはず。


 まず大前提として、自分の意志でちゃんと理解したうえで信じたのでないならば、教会では献金する必要ありません。


 どっかの新興宗教みたいに「たくさん捧げれば捧げるほどご利益が返ってくる」なんてことはありません。キリスト教会では、イエス様を信じてから自分で決めた金額を捧げればいいんです。逆に言えば、人から言われなくても自分から喜んで神様に捧げるくらいにちゃんと信じてる状態になるまでは、まったく献金する必要ありません。興味があって教会の礼拝に出席したときに献金の袋(カゴだったり箱だったり立って前に出て行ったりいろいろですが)はスルーしてください。


 聖書的にそれはまちがいないです。
「よく考えもせず信じたのでないなら」とあります。
教会や人によっては「ただ信じればいいんです」と言うことがありますが、それは違います。「ただ信じればいいんです」ならば新興宗教でも同じこと言ってます。何が違うのかをちゃんと理解してからです。


 また、聖書では神様は喜んで捧げることを要求しています。
最上のものを捧げることを神様は喜ばれます。
 信じた者に対しては決められた割合の額というのもありますが、それに対しては「こうしてわたしをためしてみよ」と書かれています。
「神をこころみてはならない」と書かれていますが、この月ごとの一定割合の献金については「ためしてみよ」なのです。ほんとかどうか、この献金についてだけは「特別に」神様をためしてもよいと書かれています。これは教会での定番メッセージでもありますので、長年教会で礼拝を守ってる人々には「耳タコもの」のメッセージです。でもこれは信じる者に対してのことです。


 ただね、オトナだと理解や分別というのもあって、
「キリスト教会だってカネはかかってるだろう。会堂の維持費も牧師給料も」ということからとりあえず千円とか入れるのはアリです。その理解は神様が喜んで認めてくださると信じます。子供や学生だと「キリスト教でもおかねとるのか」なんて思ったりしますね。


 私の場合、たとえば神様によって今の仕事に導かれたことは

ここに書きました。
 職安の障害者求人は特別なスキルが無い限りほとんどがほぼ最低賃金です。


信じる者の特権である月定献金を、私は記憶の限り欠かしたことはありません。
 信じたのは24歳ころ。
おおざっぱな計算で、この一定割合額の毎月の献金の今までの合計。とりあえず高級車買えます。私は高校中退の中卒で現業系の仕事してきた者ですので収入は知れてますが、それでも40年継続してますので高級車くらいにはなります。


 こういう話をすると、多くの方々は「キリスト教をやるといくらかかるのか。月の相場はいくらくらいか」と思ってしまう。
 なのでほとんどのクリスチャンは献金の話はしません。
最初に書いたとおり、「いくらかかるか」と思ってる限りは1円もかかりません。捧げる必要ないからです。自分から「神様にお返ししたい」と思うようになるまで献金しなくていいです。神様は心を見ています。聖書的には自発的でない限り神様が喜んで受け取ることはないでしょう。


話を戻して、「こうしてわたし(神様)をためしてみよ」の献金。
 今の仕事に就くとき。職安の最低賃金の中から探したのと、今の仕事、比較になりません。聴覚障害者で探して、今の給料の仕事なんてありません。教会への月定献金分を差し引いても話になりません。つまり神様は約束を守ってくださっています。
そのまえの就職のときも、まえのまえも、求職就職はすべてです。全部記事(「経験体験」カテゴリにあります)でUPしています。
カルト団体を無一文で脱出したときの記事も、あのとおりです。


 もし献金をしなかったら。最低賃金や、合わない仕事だったり、事故とか病気、とにかくなにがあるかわかりません。
 私は自分に関しては、神様の「こうしてわたしをためしてみよ」の約束をしっかりちゃっかり受け取っています。
 子供3人ちゃんとそれぞれ幸せに暮らしています。妻はやりたいほうだい楽しい人生送ってそのまま天国行きました。


 神様は約束を守られるかたです。
「わたしが言い送ったことばがむなしく返ることはない」と主は言われました。
天から降る雨が地をうるおすように、と。


 ただしこれは信じる者の特権です。イエス様を救い主として受け入れ、信じ、神様と和解して、神様の願う生き方をしようと決めた者に約束されています。


かーちゃんもね、「子供ら大きくなったから私も働こうか」ってとき、ハタチのころ働いてた「銀行」に応募して就職したよ。パートだったけどトントン拍子で時給上げてもらえた。フルタイムになってからは賞与月は私より多かったよ。さすが銀行、と思った。


 おかげでたまに近場の1泊旅行とか冬はスキーに。猫も飼えた(買えた/スコティッシュ)し。かーちゃんはゲーム機何種類も買った。浪費・・・。


 ご利益、じゃないです。神様の秩序であり恵みであり約束です。
それらすべてはイエス様の十字架の犠牲のうえに成り立つものです。
 神様は宗教じゃなくて、生きておられます。

×

非ログインユーザーとして返信する