妻死んだとき
過去記事整理してて消してしまったようだ。
2019年3月に妻が救急搬送されてそのまま死んだときのこと。その流れ。
死ぬ手前の流れはここに書いたんだけど。
数日前から肺が痛みだして、近所の病院にかかっていた。
日曜の深夜、月曜未明に急変で救急車。
通称、八事日赤(やごとにっせき)という大きな病院へ。
妻はストレッチャーで急患入口へ。生きてる妻を見たのはそれが最後。
救急車の中では苦しみ悶えながらも、私と目が合った。それが妻と目をあわせた最後。
私は急患用待合室へ。
大病院なので次々と救急車が来る。外は暗い、未明ながら待合室は10人ほどいたと思う。
やがてこちらに歩いてくる医師。それが私の妻の担当であろうことはなんとなくわかった。彼は私を確認後、言いました。
「到着後ほどなく心臓が止まりました。20分以上蘇生の措置をしていますが蘇生の見込みがありません」
私は言いました。
「どの時点で死亡と判断しますか」
担当医は「え!」というかんじで一瞬引きました。
しかし彼は大病院の救急担当医。すぐに冷静な口調で
「あと5分やってダメだったら死亡確認ということでどうでしょうか」
私は「そうしてください」と言いました。
5分後、案内されました。
体格のいい若い医師が心臓マッサージをしていました。
モニターの波形は心臓と呼吸が等間隔の波を打っていました。
呼吸は鼻から管が通っていました。
まんなかの仕切り線に見えた一直線は脳波だったと思います。一直線でした。
5~6人いたスタッフのうちの一人が私に近づき
「止めてもいいですか」と言いました(スマホの音声テキスト化でききとり)。
私は右手をあげて
「とめてください」と言いました。
瞳孔を照らして、死亡確認。
私は聞こえませんでしたが、たぶん担当医が
「ご臨終です」と言ったと思います。
私はスタッフのみなさんに言いました。
「私はクリスチャンです。妻は天国に帰りました。それはもう抜けがらの肉です。あとは決まりに従って処置をしてください」と。続けて
「みんな同じです。全員死にます。遅いか早いかです。妻は天国に行きました」さらに
「神の時がきました。しょうがないです。ありがとうございました」と。
その場のみなさん
「え!? この人、?」
という顔してました。
私は、そこで死ぬとは思っていませんでした。
近所の病院に入院になることは覚悟していました。
救急車の中では
「八事日赤に入院することになるか」と思ってました。
そのまま死ぬことは考えもしていなかったです。
*****************
なのになぜ落ち着いて
「どの時点で死亡と判断しますか」と言ったのか。
じつは、妻が長寿をまっとうすることはないであろうことはわかっていたのです。
それともうひとつ、担当医が待合室の私に向かって歩いてくるとき、神様は私に言いました。
「彼はあなたにあなたの妻が死んだことを告げるから」と。
たしかに私は私の主からそれを聞きました。
これは人には話さずにいたことなのですが、私は40歳のころに大失敗をしました。神様に対して
「主よ、なんですかあれは」とつぶやいたのです。
妻のことをです。神様が妻とめぐり会わせてくれたことは
ここに書きました。
夫婦喧嘩はふつうにしてたことはこれまでも書きました。仕事のストレスなどが溜まってイライラが頂点の状態で夫婦喧嘩をしたあとに、神様に文句を言ってしまったのです。
そのとき神様は言いました。
「今はわからないだろうが、夫婦がとても幸せと感じているころに取るから」と。
そのときは
「すぐではない。いつか、それはあるだろう」と思いました。
そういうことがあったので、
「彼はあなたにあなたの妻が死んだことを告げるから」
と神様が語ったとき、
「ああ、ここで来たのか」と悟ったのでした。
もうそれはしょうがないことでした。わかっていたことだったのです。
思えば、神様に
「今はわからないだろうが、夫婦がとても幸せと感じているころに取るから」
と言われてのち20年近く経過していました。
おもしろおかしく幸せな日々でした。
子供らも全員自立、孫もでき、それからその日はついに来ました。
・・・ということでした。
主イエス様に栄光とほまれと賛美がありますように。
聖なる御名をほめたたえます。
******************
神様、このあと、私、どーなるの?