kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

キリスト教はね

カトリックとプロテスタントに分かれるよね。まず。
 私はこれさえ知らなかったんだよ。
初めて聖書読んで
「おお、これじゃん。これがほんとの神様だ。よし、教会に行こう」
ってんで近所の教会を探して行ったんだ。


実家は新興宗教で兄貴たちは僧侶。
 こんなん、デタラメじゃんってのはわかってた。
ほんとの神様を拝むのはどこに行けばいいんだって探してたのさ。


 神様の導きがあって、幸いなことにプロテスタントのなかの、聖霊派の教会だった。
そこが一番近かったんだ。当時住んでた借家から。
アッセンブリー教団の高松屋島教会。もう40年も前のことだ。
 分裂分派教派教団とかはずうっとあとで知ったことでした。
まずカトリックとプロテスタント。プロテスタントの中では聖霊派と福音派に分かれる。
というのをぜーんぜん知らなかったわけよ。
 初めて戸をたたいたのは、自分にとっては「キリスト教会」だけ、なわけだ。


もしもガチガチの福音派教会だったら。
 たぶん、しばらくして違和感持ったと思う。だってさ、初めて聖書読んだ衝撃とか感動ってのはイエス様がバンバン奇跡や癒しをし、人から悪霊を追い出すし、はては死んだ人をよみがえらせたりしたわけさ。
 「神の子ならこうでなくちゃ」と思ったんだ。
でもガチガチの福音派教会だとそれらは全否定される。さらには天国地獄の話も教会内ではダメ。さらにさらに悪魔と天使とか霊的な話もダメ。
 「え???」と疑問がわいたあたりで
福音派と聖霊派があるってことを知れば「じゃあ聖霊派ってとこにいちど行ってみよう」となったはずだ。


とにかく初めて行ったのがアッセンブリー教団だったから、「異言」もアリだった。
 自分で読んだ聖書。
「使徒の働き」で「信じる者に聖霊が下り異言を話し始めた」ってところはさすがに、そういうのはないだろと思ってたんだけど、じっさいにあるということを知り、ますます聖書は本物じゃんと思った。


 最初のころ、牧師に
「クリスチャン新聞ってあるんですね。取りたいです。購読申し込みはどうすればいいんですか」って聞いたんだ。
牧師は
「んー、まあ、それはいいでしょう」とかわした。
時がたち、いろいろ知ったあとで思ったさ。
「なんであのときちゃんと、福音派と聖霊派に分裂していて、教えが違います。クリスチャン新聞は福音派のもので、聖霊派はそれを読みません」って説明しなかったのか、と。
ひどいなと思った。やがて、両派は犬猿状態ってのも知った。
 カトリックは別物ってのも、それらの事情を知るうちに並行して知るところとなった。


とくに不都合や教えに疑問も不満もなかったので、結果、アッセンブリー教団の教会に何年か通うことになりました。
 28歳の時に聖霊派の「異端」にハマって、本部のある名古屋に引っ越しました。
しかし「これ違うよな。ヤバい団体じゃん」で脱出までに5年経過。
 そのころには、ひととおり、教派教団分裂分派の状況はざっくり把握していました。
脱出後は名古屋市内千種区の聖霊派教会へ。


 何年かのち、自分の信仰として
「住んでる地域の教会で礼拝を守りたい。クセのある教会でなければ福音派でもいい。本来はそうあるべきだろう」ということで、徒歩7分のところにあった福音派教会へ。
 聖霊派教会を出るさいに上記のとおりに自分の考えを教職者に話した。
その教職者(その教会には「先生」が何人もいました。主管牧師とは話してません)
「よその教会では真理が学べないでしょう」と言いました。
私はその言葉に背中を押されて近所の教会に行くことになりました。
「この教会は真理が語られるすばらしい教会。ヨソでは真理が学べない」
という教会は私はいらない。


 それから通ってた福音派教会は、教えはガチガチの福音派でしたが、私はいっさい教理にかかわる発言はせず、教会に迷惑かけないようにしていました。当時はまだ耳が生きていたのでバンドに参加して奉仕していました。
 あるとき「先生、祈るのによい場所知りませんか。会堂を開放してくれてるカトリック教会とか」とたずねたら
「ウチの会堂で祈ってください」と、カギをあずけてくれました。
この厚意により、私は夜中や早朝に会堂で自由に祈れるという特権が与えられました。
 ひとりで会堂で祈りながら年越しもしました。とても幸いな恵みの期間でした。


 しかし、非常に残念な事件があり、私はふたたび千種区の聖霊派教会で礼拝を守ることになりました。


「聞こえない耳でなにしに来てたのか」


 これをきっかけに、ほかにも「オレ、邪魔者っぽい」と感じるところもあって、ついに、再度ほかの教会へ。 
 その間に、40年仲良く暮らした妻が天国に行きました。


 で、現在の教会。です。


イエス様が私をとらえてくださってから、こんにちまで、約40年。
 その間に、たくさんの奇跡的な体験をさせていただきました。主は私にほんとに良くしてくださいました。


まだ夢や希望は、じつはあります。
 もちろんキリスト者としての、です。
でも、ひとりでは、ムリです。





ママごめんな。こんな、名古屋で死なせてしまって。すまない。

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