kenoブログ

**ママ会いたいよ**

長男の出産

先に断りをいれておきます。
 マネしないでください。
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おなか大きい状態で名古屋に来てからでした。
 さいわい、産婦人科はすぐ近くにありました。


さあ来たか、というところで医院へ。
 初老の先生です。
「これまでのカルテを」
私「ないです」
「どういうこと?」


キリスト教を名乗っていたが、実態はカルト教団でした。
 教理が極端。まちがったおしえ。
当時そういう団体にハマッていたのです。
 それで、妊娠してから医者へは何度か行ったものの定期的な検診は受けておらず、カルテも保存していなかった。そんな状態で名古屋に引っ越したのでした。


医者はイラついていました。
「すぐに検査だ」
いくつかの検査をしたのち
「ダメだ。こんな数値では。救急車を呼ぶ。ウチでは対応できない」と言いました。
「正常な出血量でもこれでは危ない。さらに多くなる可能性がある」と。
また、
「わたしは(産まれてくる)子を失ったことはあるが母体を失ったことはないんだ」とも。
一軒家の産婦人科では危険すぎる状態。大きな病院へ救急搬送するという判断でした。


この場合、医師の判断に従うのが正しいことです。
が、このとき私はこう言いました。
「先生、私たちはクリスチャンです。イエス様はそういうことしませんからだいじょうぶです。私がムリにお願いしたと一筆書きますから、ここで産ませてください」


医者はキレてしまいました。
当時私たちは、28歳の若者夫婦です。それが医者に「だいじょうぶだから」などと言ったのです。キレるのが当然でした。
「ばかもん!、何を言ってるんだ、もういい、やる。やるしかない。おまえの言うことなんか聞いてられない!」
妻の状態は、たとえ救急車を呼んでも、もうまにあわないところまで来ていました。


 当の妻はというと、それまでの信仰生活から、夫の言うこときいて神様に信頼していればだいじょうぶと学習してましたのでまったく動揺はなかったです。
 分娩室に行きました。私は待合室で「神様、2人目を感謝します」と神様に感謝をささげていました。


しばらくして、先生が来ました。
「男の子です。母子ともに元気です。あなたが言っていたイエス様が守ってくれたんですね」と、医者がそう言いました。


おねえちゃんと。

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これ、神様が守ってくれたことのあかしなのですが、あんまり書きたくない面もあります。というのは、個人的にちゃんと神様とつながってないとダメなんです。たとえば若いクリスチャンがこれを読んで、「そうか、よおし、やってみよう」と、何か危険な状態のときに「大丈夫だ。イエス様がまもってくれるはずだ」ってやったら。ヒサンな結末に。
「やってみよう」とか「はずだ」っていうのは、もうその時点で「信仰」ではないです。人から聞いた方法を試す状態。聖書では「神をこころみてはならない」と書いてあります。
 なので、こういうことはマネしないでください。私の場合、このときはちゃんと心に平安がありました。「わかってる状態」だったのです。
 妻が「早死に」したときの記事は
にUPしました。
ああいう場合もあるのです。あのときは「いや、まだ死なない。イエス様は守ってくれる」ではなかったのです。「ああ、ここで来たのか」でした。
 自分のつごうで神様を動かすことはできません。神様に従うことが人間にとってすべてであると聖書には書かれています。
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