kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

軽薄で自己中で暴力的

まず自己主張。通れば正義。
 通らず、打ちのめされたら相手を「ボス」と呼んで己の身分を守る。
軽薄で自己中で暴力的で押しが強くてわがまま。


一方、道徳心でゆずりあって和を保つ。


そういうイメージがあった。
欧米人と日本人。歴史的には原爆落とされての敗戦も。


 そういう精神的背景から、キリスト教ってのは「きれいごと言ってるだけの軽薄な宗教」なのだろうという感覚が私にはあった。小学生のころ。
 たぶん多くの人がそうだったのではないだろうか。
だもんで日本では仏教(あるいは神道/神社)が民衆の心には受け入れやすかった。
 それと我が国の、ってやつ。おいらが村の、みたいな。日本人は日本の宗教。


私の実家がハマってた新興宗教はキリスト教を「原爆落としたアメリカの宗教」って言ってました。ずっと今も言い続けてれば大したもんだと思うが、今もそれ言ってたら「ただの**」と言われるから、いつからか黙りました。


 私は小中学生のころ、天地万物の創造主ってのを意識するようになりました。そしたら「土着の地元の神/宗教」ってのはどうでもよくて、気にしなくなりました。
それよりも確率のことを思いました。いつのころからなのかはハッキリとは覚えていませんが、中学生ではそれを思っていました。高校生になってからではありません。
 つまり、自分の実家や、この日本でおがんでいる宗教が天地万物の創造主をおがんでいる可能性、確率です。全世界、地球の規模をだいたい認識するのは中学生でした。文明度合いや社会的なことや人口比率などいろんな面での、です。


 そしたら、自分の家がやってる宗教が天地万物の創造主をおがんでる確率ってのは限りなくゼロであるとわかりました。なにしろその宗教自体がそれを宣言してません。宇宙の法則だとか奥義や秘宝を持った宗教だとか、どうでもいいことを言ってました。


 私が聖書を初めて読んだときに、まず注目したのは「はじめに神が天地を創造した」と、「聖書の神は天地万物の創造主のことだからね」と宣言していることでした。


 はっきり明白な違いは、「この世」が作られたものであるという認識です。
人から出た宗教というのは「この世」については地上で生きてる人間と同じ感覚なのです。
「なんでか知らんけど、最初から存在してるし。だから世界」みたいな。
だからそういうところでの「神」も半分は人扱いです。だって創造主じゃなくて、でも意思があるって設定なのだから。全知全能じゃないし。「何々の神」って、商売だろそれ。


時代が変わって、現代。
 中学生でも、小学生でもちょっとアタマいい子なら知っています。
この世はコンピュータでも作れるということを。
 現在は「現時点」です。でも「前時代」からは飛躍的に科学は進歩しています。
コンピュータも、処理能力無制限容量無制限になればそして最近進歩が著しいAI、これはモノがモノだけに、加速度的に、累乗的に進化します。それで、この世を作れとなれば、「簡単に」作れます。これは意味が分からない人にはサッパリかもしれませんが、プログラマやってて3Dゲーム好き、ならばあたりまえにわかることです。私の子らはわかってます。
 いや、現時点の性能のコンピュータでも理屈上は作れます。ものすごく時間がかかるけど、その「時間」ってのはあくまでも生きてる人間単位であって、作られる側の世界にとってはこちら側の時間は全く関係ないので、今のコンピュータでは1万年かかるといわれても、「その世界」ではこの世界と全く変わらぬ時間経過となります。


 で、聖書読んだらそのまんまが書いてあったので、「これ本物かも」と思ったのです。
「神にとっては一日は千年、千年は一日のようです」って書いてあるよ。つまり時間は関係ない。時間も作られた、あるいは都合にあわせて定義されたものだから。
「宇宙もあなた(神)を入れることはできません」とも書いてある。当然ですよね。データにプログラマは入れません。


 さらには神はこの世を「ことばで作った」と書いてあります。
「はじめにことばがあった」「ことばは神であった」と。
創世記では「光よあれ」と神は宣言し、次々に空や海を定義していったことが書かれています。
コンピュータならプログラム言語で構築したといえばそのまんまです。
 じっさいは神様はコンピュータ使ってるわけじゃないですが、要するに「神の意思でこの世を定義した」ってことです。


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 あ、仕事、明日の予定がUPされた。準備だ。


皆様にかみさまの恵みがありますように。

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