kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

聖書知識

自分、弱い。
 これ、人の世では男として、ダメ。
ところが信仰者としては、よい面がある。


 聖書で使徒パウロが自分の弱点について神に願ったとき。
神様が言われたことは、神の力は弱さのうちに現わされるということでした。
 なのでパウロは「私は弱い時にこそ強い」と言っています。


これは信仰の法則のひとつでもあります。
 自分の力ではどうにもならない状況のとき、神様に丸投げできるかどうかです。
私は弱いので、なにくそと根性で逆境をのりきる、なんてことはできません。
 これは「経験体験」カテゴリにある体験談のとおりです。
アタマいいひと、世渡りの名人、不屈の精神もってる人なら違うでしょう。
人脈をもっている人とか。


昔、アルバイトしてたとき、武術やってる男がいて、私に
「宗教か。暴漢に襲われたときにそんなものが役に立つか」と言いました。
私は「そういう状況が発生しない。あるいは暴力に対して暴力は必要ない。神の方法で解決される」と言ったら、彼は分別があって、「そうか」と納得していました。


 このことがカタチを変えると、
「弱くてアホで独りであっても正直でマジメでいられる」ということにつながります。
世では「正直者が馬鹿を見る」と言われます。
弱くて、弱いがゆえに多様な対策をめぐらせていたりします。
 保険であったり親類縁者に頼れる関係を作ったり。医者や弁護士、警察関係者の知り合いをもっていたり。


 ほんとに神様を信じてる人というのはあまり多くはいません。
聖書にあるとおり
「口から出る言葉」でわかりますね。
いつも隣に神様がいるのが見えているなら、口から出る言葉はちがうはずです。
 不安やおそれやグチは出ないし、人をうらやむこともないし、罪となる女やカネの欲望の話もしないはずです。


でもこれは知識がないと、理解できないかもしれません。
 神様が隣に立ってるなら、たとえば私はなぜ
「神様、私の耳をいますぐ開いてください」と言わないのでしょうか。
なぜ神様は「よしわかった」と耳をなおしてくれないのでしょうか。
 家計が非常にきびしいとき
「神様、お金が足りません」とお願いすると、神様は
「んじゃあ、じゅうぶん満ち足りるようにお金をまわすから」
とこたえてくれるハズですよね。


だから宗教というのは文化で願望で心のよりどころのための道具だったりします。道徳心のためとか。神様を知らない人にとっては、です。


 以前、新興宗教の人が布教活動でウチに来た時。
「これをおがめばよくなる」と言いました。
「じゃあなんで今が悪いんですか」とたずねました。
「人の業とか魔がいるから」と言いました。
「人の行いで悪いことが起こるのなら、良いことをすれば幸せでいられるんですね?また、あなたがたのいう「魔」とはなんですか?どこから来たのですか。天地万物が創造されたときから「魔」はいるんですか?」
 彼らは答えませんでした。
私はたずねました。
「天地万物を創造した神様はいるのですかいないのですか?あなたがたのいうそのナントカ様がこの世を創ったのですか?」
彼らは答えませんでした。
私はたずねました。
「人は死んだらどうなるのですか?犬猫と同じに消えてなくなるだけですか?死後の世界があるのですか?」
彼らは答えませんでした。
私はたずねました。
「「これをおがめばよくなる」と言うのなら、おがんでもよくならないとか、かえって悪くなったらそのときは保証があるのですか?また、死んでからのことが説明できないということは、おがんでもよくならなかったらおがんだ時間と労力、ささげたお金がまったくのムダということですよね?」
彼らは答えませんでした。
私はたずねました。
「昔、実家があなたがたのその宗教で、クリスチャンになった私に、母親がキリスト教をバカにしてこう言いました「処女から産まれたなんて非科学的なことが信じられるか」と。だから私はこうたずねました「掛け軸みたいな紙に人が墨で文字を書いてそれを仏壇に飾って、それに向かって同じ言葉をたくさん言い続けると、病気が治り、むずかしい問題が解決し、貧乏から脱出し、苦痛だった人間関係も改善し、雨あられと幸せが舞い込んでくることを科学的根拠を示して説明してください。母は私が幼いころにそう言い続けましたよね。科学的に説明してください」と。そしたら返事はありませんでした。これについてあなたがたが説明してください。それとも私の母が、そして僧侶やってる兄たちがまちがってたのですか?」
彼らは答えませんでした。


 その程度です。私の兄たちは、私がこのように突っ込みいれることを知っているので私が「説法してくれ。すばらしい教えなんだろ。ものごころついたときから、親から頭ごなしにこれをおがめと強制されただけで、私はちゃんと説法をきいたおぼえがない」と言っても逃げたままです。


 いっぽう、私は坊さんやってる兄たちが「おまえの信じてる神について説明してほしい」と言ったら飛んで行って聖書をもとに何時間でも話します。私の実体験も、たくさんの証しやYouTubeにUPされてる世界中の奇跡的な体験談も。


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あ、それで、表題の聖書知識ってのは、理解してないと信仰を保つのがむずかしくなる場面があるだろうと。聖書はそのままちゃんと読まないとアカンです。
「神がいるならなぜ」ってやつです。
聖書自体が言ってます。「よく考えもしないで信じたのでないなら~」と。また、信仰者は成長するものです。「乳飲み子」というたとえで語っています。「成熟したおとな」とも。
 じつはイエス様も、です。これは意外なことですが。
「多くの苦しみによって従順を学ばれました」とあるんです。「成長した」ともあります。多くの苦しみや試練にあわれました。だからこそ「私たちの弱さに同情できないかたではありません」と書かれているとおり、イエス様は地上にきて、地上のあらゆる苦難を経験されたことで、私たちに同情しあわれみ、ゆるすことができるのです。


 で、キモはね、神様は法則はいたずらに変えることはしません。「混乱の神ではない」と書かれています。ここから先はまたの機会に。長くなる。
 基本、この世の流れの中で、神を信じることは聖書では「オオカミの中に羊」です。


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ということで、明日は休みなので、午後スケート行くかも。


スキー。ママ・・

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