kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

牧師のとりなしの祈り

過去にUPしたことのある記事です。
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 私はある時期、自分の罪の性質や、仕事のこと、家庭や夫婦間のこと、いろいろなことに悩み、疲れていました。もうマジメに考えることもイヤになっていました。
 40歳のころだったと思います。


 あるとき口に出して、こうつぶやきました。「神様、もういい。しんどい。どうせオレ教会の奉仕とかできんし、使い物にならん器だ。それでもイエス様が私の主であり、悪いことは悪いと悔い改めもしている。私はいつ死んでも天国だ。これ以上ダラダラと罪と戦うだけで何の役にも立たず、自分はつらい思いばかりなら、クルマにハネられて一発で死にたい。ちゃんと上乗せ保険かけてるマトモなクルマが、うっかりの信号無視。バーンとハネられて即死。それなら相応の保険金が家に入るし、私も天国行ってラクになる。神様、それでいいよ」


 敵である悪魔が、私のこのつぶやきを聞き、
「神様これこのとおり、この者は自分からあなたに申し述べたのですから、この世から取り去ることができます」と訴えたと思います。


 ヨブ記の1章で、悪魔は神様の前に出て訴えることができる様子が書かれています。


 聖書の他の箇所には
「あなたの口のことばによってあなた自身がわなにかかり、あなたの口のことばによって、捕らえられたなら」
また、ダビデは詩編39で
「私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。」とも、ほかにも
「死と生は舌に支配される」
などなど、口から出る告白については聖書にたくさん書かれています。


 ある日の未明でした。徹夜仕事を終えて始発電車で帰ってきました。冬でしたので、下車駅から出た時間はまだ夜が明けてませんでした。
 すぐに大きな交差点があります。
 私は歩行者用信号の青信号で横断歩道を渡っていました。
暴走車が来ました。
 気づいた瞬間、距離とスピードから「まにあわない」と思いました。
急ブレーキを踏んでもまにあわない状況でした。
 カラダを止め、つま先で立った私のコートを暴走車のミラーがかすっていきました。
あまりに近かったので、クルマの運転手をはっきり見ました。
 若い女性でした。目がおかしかったです。
直後に暴走車がもう一台きました。男でした。このクルマは手前で私に気づき、よけていきました。女性は男に追われてるようでした。


 私は何度も信号を確認しました。まちがいなく歩行者用信号は青で、2台のクルマが信号無視の暴走でした。


 家に帰り、いつものようにパソコンを起動し、メールチェックをしました。
 牧師からメールが来ていました。
「太郎さん、お変りないでしょうか。じつは夜中に神様に起こされて、太郎さんのために祈れと示されました。何のことかわかりませんでしたが、とにかく太郎さんの平安のために祈りました」


 私はこのできごとを牧師に返信しました。
悪魔が「当然の訴え」を神様にしてきたことに対して、主は「とりなしの祈り」を牧師に命じたのです。聖書では義人によるとりなしの祈りは罪をゆるすとあります。
 私は口から出る言葉で失敗し、命を落とすところでした。
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 クリスチャンのあいだでは、このような体験談はたくさんあります。

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