kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

連休はキライだ。

なんの楽しみも、労働も、義務もない。
 緊張感もなければ忍耐も必要ない。
誠実にという心もいらない。
 
 独りのつらさはわからないほうがいい。
時間が余っても会話もない。
 会話したくてもこの耳では。


近くに家族のような友もあるいは悪友もいなくなった。
 冗談で言う。
「この耳ではナンパもできん」


人生の楽しみ部分がごっそり消失。
 そんな現実は仕事のしんどさで見えないほうがいい。


なんの楽しみも興味も、関心事もない。
 親切は要求するよりも与えたい性格だ。聖書的。


連休はきらいだ。
 部屋が無用に広くなってしまう。
ガランとした空間は寂しさむなしさ。


けして望まない。
 楽しかった過去を思い出す時間が与えられることを。
目の前にやらなきゃならんことがあれば忘れている。


腕時計。時間とにらめっこ。
 追われる仕事現場。
それがいい。
 なんとか定時完了で1日が終わる幸せ。


クルマの運転。
まだ終わってないと帰路につく緊張感。
 街の中心、信号待ちできれーなねーちゃん。
「こら!」と自分に。
動いている。それでいい。


連休はきらいだ。


さびしさを感じるのはスーパーで弁当を手に取るときだけでいい。
 


御嶽山(おんたけさん)。
 これからしばらくは御嶽山が見える日は少ない。
秋の終わりにくっきりとその姿をあらわすまで。

 季節の草花の風が、記憶を運んでくる。
人生が過ぎてしまったことも。


汗が流れることで皮膚とからだの温度を下げるように、
感情が胸の内に詰まらないよう、涙が流す。


ふたりでともに歩んだ記憶はたからもの。





子らの成長はその報酬。



としをとると、時が流れたことを知る。


ひとりになると、時はかえらないことを知る。


・・・連休は、きらいだ。
 オレは、現場労働者だ。
妻と仲良く、ふたりで働いてた労働者だ。


 ほんとに休むのはイエス様のもとに帰ってからでいい。
それまでは走っていたい。
 さびしさや悲しみに追いつかれないように。

また買っちゃったよ

なんでかしらんけど。
 ゴーヤ。
あと、今日はにんじん。


卵が2個残ってた。
フライパンへ。

 いわしの煮つけは総菜コーナーで。きゅうりまるかじり。


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 会話がないのがつらい。
しょうがない。またすこしカネ使うか。
 病院送り、薬漬けになるのは避けなきゃならん。

やっぱやめとこ

横浜行くの。やめ。
 お金がもったいない。
家事代行4回分くらい飛ぶもん。


ゆっくり休みにしよう。
 休養だ。
モリコロスケートは行くと思う。運動。
 ヘルメットとプロテクターつけて。


**********


教会、親切にしてくれるからと欲を出したのがまちがい。
礼拝と神様への返金(献金)を守るために、ということだけだったはず。


 今までの教会ではいちばん親切で気を配ってくださってる。
教会で用意した音声テキスト化のタブレットを目の前に置いてくれました。
 礼拝はすべて「読める」。耳ダメの私にはたいへんありがたいことです。
おとなしく礼拝守れればそれで感謝。


 次の日曜日メッセンジャーはあの兄弟(長老?)だ。
彼のメッセージは期待。
 ふつうに語られる神の言葉。ふつうなんだけど、心に入る。


 まあ、そのうちアホな雑談ができる機会があればラッキーくらいで。
聖書解釈教理の話は封印。
 自分と神様との関係をたいせつにします。今までもこれからも。


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考え方が単一化。カネだけ。自己中で。


 ウチ、ずっと賃貸でいいじゃん。だった。

子供ら高卒と中卒。
 みんな元気で幸せに暮らしてるよ。上ふたりは家庭もって。上の男の子は逆玉だし。


もっとも、こういう生き方を人には勧められない。
 だって、ウチ、クリスチャンだもん。
神様が祝福してくれたから。
 神様信じない、知らない人には「頑張ればきっといいことが」さえ言えない。
そんな無責任な励ましは私はできないです。


スタートラインは「悔い改めて、救い主イエス様を信じなさい」。
 そしたらかーちゃんみたいに好き放題して、悪い時代が来る前にイエス様に迎えられて天国さ。ほんと、うまくやったなあと思う。神様の恵みだね。

ゴーヤ買った

仕事帰りにスーパー寄って。
 夕飯は久しぶりに弁当にしようと思ったのさ。
いつものスーパーなら店内厨房製造の弁当が充実してるから。


 で、弁当と、明日の昼パン買って。
なぜかゴーヤに手をのばし。
 買ってしまってから、どうしようと。


卵がある。玉ねぎがひとつだけ余ってる。ブナシメジの小分けが冷凍保存。
 それら全部投入。
味付けはどうでもいい。
 塩コショウしてから醤油にみりんに砂糖少々。ごま油と、なんだかわかんないソース調味料(家事代行ねーちゃんが置いていったやつ)。
 けっこういけた。


****************


 横浜行こうかな。
現業系仕事だから長いGW休みってのは無いよ。
でも3・4・5は3連休にしてくれている。
 新幹線はこだまならテキトーに座っていける。
のぞみが1時間40分。こだまは途中駅で「追い越させ」停車が長いから、2時間40分。
 とはいえ、新横浜へ2時間40分で行けるんだから、こだまで行こう。
たまにはいつも通過してる駅を見ながら「乗り鉄」気分で行くのもいいかも。
 のぞみは全車指定でひかりもとうぜん混むだろう。
こだまなら名古屋始発だし。


だーれもいないんだよ。
 話し相手が。


 このまえの日曜から、教会や教派教団のこと考えてたら脳が、思考回路がバグってしまい、今日は危なかった。ほんとに脳がおかしかった。
現場が10階でさ。ベランダから遠くを見て、次に下見たら、
「このフェンス簡単に越えられるじゃん」て思った。ひでーな。イカレてきた。


藤が丘。名古屋東端。まわりに高層ビルないから10階でも見晴らしがよかった。


雨。霧。遠くかすむ名古屋駅の高層ビル群。


反対方向。猿投山(さなげやま)。子供が小学生のころ何度も登った山。

左の鉄塔は地上波デジタル送信塔。


 だもんでさ、しょーがない、横浜行こうか。
とりあえず一日中アホなこと話していられるし昼はファミレス行くかも。
 気分転換にはなると思う。


神様、ほかの・・

キリスト教はね

カトリックとプロテスタントに分かれるよね。まず。
 私はこれさえ知らなかったんだよ。
初めて聖書読んで
「おお、これじゃん。これがほんとの神様だ。よし、教会に行こう」
ってんで近所の教会を探して行ったんだ。


実家は新興宗教で兄貴たちは僧侶。
 こんなん、デタラメじゃんってのはわかってた。
ほんとの神様を拝むのはどこに行けばいいんだって探してたのさ。


 神様の導きがあって、幸いなことにプロテスタントのなかの、聖霊派の教会だった。
そこが一番近かったんだ。当時住んでた借家から。
アッセンブリー教団の高松屋島教会。もう40年も前のことだ。
 分裂分派教派教団とかはずうっとあとで知ったことでした。
まずカトリックとプロテスタント。プロテスタントの中では聖霊派と福音派に分かれる。
というのをぜーんぜん知らなかったわけよ。
 初めて戸をたたいたのは、自分にとっては「キリスト教会」だけ、なわけだ。


もしもガチガチの福音派教会だったら。
 たぶん、しばらくして違和感持ったと思う。だってさ、初めて聖書読んだ衝撃とか感動ってのはイエス様がバンバン奇跡や癒しをし、人から悪霊を追い出すし、はては死んだ人をよみがえらせたりしたわけさ。
 「神の子ならこうでなくちゃ」と思ったんだ。
でもガチガチの福音派教会だとそれらは全否定される。さらには天国地獄の話も教会内ではダメ。さらにさらに悪魔と天使とか霊的な話もダメ。
 「え???」と疑問がわいたあたりで
福音派と聖霊派があるってことを知れば「じゃあ聖霊派ってとこにいちど行ってみよう」となったはずだ。


とにかく初めて行ったのがアッセンブリー教団だったから、「異言」もアリだった。
 自分で読んだ聖書。
「使徒の働き」で「信じる者に聖霊が下り異言を話し始めた」ってところはさすがに、そういうのはないだろと思ってたんだけど、じっさいにあるということを知り、ますます聖書は本物じゃんと思った。


 最初のころ、牧師に
「クリスチャン新聞ってあるんですね。取りたいです。購読申し込みはどうすればいいんですか」って聞いたんだ。
牧師は
「んー、まあ、それはいいでしょう」とかわした。
時がたち、いろいろ知ったあとで思ったさ。
「なんであのときちゃんと、福音派と聖霊派に分裂していて、教えが違います。クリスチャン新聞は福音派のもので、聖霊派はそれを読みません」って説明しなかったのか、と。
ひどいなと思った。やがて、両派は犬猿状態ってのも知った。
 カトリックは別物ってのも、それらの事情を知るうちに並行して知るところとなった。


とくに不都合や教えに疑問も不満もなかったので、結果、アッセンブリー教団の教会に何年か通うことになりました。
 28歳の時に聖霊派の「異端」にハマって、本部のある名古屋に引っ越しました。
しかし「これ違うよな。ヤバい団体じゃん」で脱出までに5年経過。
 そのころには、ひととおり、教派教団分裂分派の状況はざっくり把握していました。
脱出後は名古屋市内千種区の聖霊派教会へ。


 何年かのち、自分の信仰として
「住んでる地域の教会で礼拝を守りたい。クセのある教会でなければ福音派でもいい。本来はそうあるべきだろう」ということで、徒歩7分のところにあった福音派教会へ。
 聖霊派教会を出るさいに上記のとおりに自分の考えを教職者に話した。
その教職者(その教会には「先生」が何人もいました。主管牧師とは話してません)
「よその教会では真理が学べないでしょう」と言いました。
私はその言葉に背中を押されて近所の教会に行くことになりました。
「この教会は真理が語られるすばらしい教会。ヨソでは真理が学べない」
という教会は私はいらない。


 それから通ってた福音派教会は、教えはガチガチの福音派でしたが、私はいっさい教理にかかわる発言はせず、教会に迷惑かけないようにしていました。当時はまだ耳が生きていたのでバンドに参加して奉仕していました。
 あるとき「先生、祈るのによい場所知りませんか。会堂を開放してくれてるカトリック教会とか」とたずねたら
「ウチの会堂で祈ってください」と、カギをあずけてくれました。
この厚意により、私は夜中や早朝に会堂で自由に祈れるという特権が与えられました。
 ひとりで会堂で祈りながら年越しもしました。とても幸いな恵みの期間でした。


 しかし、非常に残念な事件があり、私はふたたび千種区の聖霊派教会で礼拝を守ることになりました。


「聞こえない耳でなにしに来てたのか」


 これをきっかけに、ほかにも「オレ、邪魔者っぽい」と感じるところもあって、ついに、再度ほかの教会へ。 
 その間に、40年仲良く暮らした妻が天国に行きました。


 で、現在の教会。です。


イエス様が私をとらえてくださってから、こんにちまで、約40年。
 その間に、たくさんの奇跡的な体験をさせていただきました。主は私にほんとに良くしてくださいました。


まだ夢や希望は、じつはあります。
 もちろんキリスト者としての、です。
でも、ひとりでは、ムリです。





ママごめんな。こんな、名古屋で死なせてしまって。すまない。