kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

礼拝説教

今日の説教は教会生活基本編とでもいうべき内容でした。
 教会とはどうあるべきか聖書からというかんじで。
クリスチャンはたがいに愛しあうことなど。


 聖書個所も毎度な箇所なんですが。


じつはこれすごく重要なんですね。
 きょうも感謝な説教でした。
反復すること。愛については何度も聞くこと。
 聞いて、聞いて。


信仰は聞くことから。聞くことは聖書(神の言葉)からと聖書に書いてあります。
 1回聞いただけでは人は忘れます。2回聞いても「聞いたことある」くらいです。
何か月後かに3回め聞いたら「ああ知ってる」くらい。
 4回目くらいに「知ってはいるけど、自分はそのとおりになってはいない」ことに気づいて。5回目には反省することもあって。6回目は「ああ、たしかにそうだった」などと。


 てなかんじで、何度も語られます。
今日聞いた個所も長年のクリスチャンには耳タコものの聖書個所ですが、聖霊(神の霊)と説教者の霊(真実・よい心)で、私には
「オマエなあ、知ってはいても、いまだにちゃんとできてないだろ。ほんとにへりくだって兄弟を尊敬し愛する行動してるのか。オマエ、まちがっても「オレはできてるさ」なんて思ってないだろな。おい、聞いてるか」って聞こえました。
※聞こえてません。A4用紙2枚分に聖書個所と要点をまとめてくださってました。とても助かります。


 今日の個所で「苦難に耐え」ってのが含まれてました。
それなんですよね。クリスチャンのカクゴ。


このまえ
「こんなことがあるなら、神はいない」という人がいることを書きました。
クリスチャンから見ると
「しつこいくらい神を信じなさいと言ってるのに、イエス様が救い主であることを伝道してるのに、「宗教?キリスト教?いらないよそんなの」と、聞かない。神を拒否しておいて自分に悪いことが起こると「神なんかいない」と言う」なんですよ。


 つまり、神ってのは自分に都合のいいことするのがあたりまえで「なんでそうしないんだよ」ともんく言ってます。
そういうのが人間の罪の性質で、それゆえに地上は悪が満ちています。


 今日、自分で通読してる聖書個所にこういうのがありました。詩篇です。
「天は主(神様)のもの。地は、主が人の子らに与えられた」
これ、創世記から一貫して聖書が語っていることです。
 地上は人がおさめることを神が許し、また、命じています。
地をおさめよと。
 つごうのいいほうにとれば、地上は人が好きにおさめていいんです。
そのとおりに人間には自由意思があります。神様の言うことに逆らうことだってできちゃいます。「神に似せて作られた(聖書)」くらい自由意思なんです。


 でも人は自分がひとよりえらくなったりぜいたくしたりかねもちになりたかったり、の罪の性質で勝手にわやくちゃにしちゃいました。そのうえで災いがふりかかると「神なんかいない」です。


 長くなるからもう寝ます。
明日の仕事現場は刈谷市の遠いほうの果て。早く出ますのでさっさと寝ます。
 おやすみなさい。
皆様に神様のめぐみがありますように。

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