kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

信仰と現実

 今日は月曜日の休みなので昨日の礼拝メッセージを思い出す時間がある。
私は聴覚障害者で耳が死んでます。
 でも、説教内容はじっさいに講壇から語る言葉でA4用紙に文書化してくださっているので、そのまま伝わるし受け取ることができる。たいへんありがたい。


 以前の教会では持参したノートパソコンに、ミキサーコンソールからのライン(物理的な線・ワイヤ)で講壇マイクからの音を入力して「音声テキスト化ソフトウエア」で言葉に変換していました。
 問題は音声テキスト化ソフトの精度で、ひとことで言うなら、ダメ。そのまま変換されるのは50%弱。自分で「これはこういう言葉だな」と脳内修正をあてても6割から7割。
 なのでメッセージの主題やだいたい何を語っているのかは、まあまあわかる。
問題はさらにあって、パソコン画面を注視し、表示されるおかしな文章を常に脳内変換し、話の内容を自分でわかる範囲に組み立てなおす作業を強いられること。
 だから、たとえ概要はわかってもメッセージとして心に響くことはなかった。残念。


 昨日のメッセージはそのまま「読める状態」。とても感謝なのですが、これ、メッセンジャーの負担がどれほどか。
(かさねて、もし負担に思うことがあったらいつでもやめてくださってけっこうです)
 音声テキスト化ソフトは進化していってると思いますので、90%以上になればミキサーからラインでもらってパソコン画面で読めるようになるはずです。
 機器による音質や発声の個人差はあっても、現に人間どうしは聞き取っているのですからソフトウエアの精度向上にかかっています。
 現時点では私の知る限り使い物になるのは無いようです。
(スマホの音声テキスト化アプリではスマホを手に持ちアナウンサーのような発声をすれば80%くらいいけますが、安定した高速通信環境がないとそれもダメです。音声波をサーバに送ってそれを変換してから送り返してくるため)


 文書化してくださってることに感謝するしかありません。


***************


 礼拝での説教が感謝なのは、自分の信仰を見つめなおす機会が与えられること。
私は、傲慢になってはいけないのはもちろんですが、これまで神様から奇跡的な経験をさせていただいてきました。内容によっては1回2回ならば「それはまぐれだろ」もあるでしょう。しかし確率計算不能なことも、ありえないことも経験してます。
 聖書も、通読回数はしれてますが、こんなかんじで勉強してた期間がありました。

上のは2冊目です。1冊目の聖書はこれ。

ボロボロで、これ以上使うとページが落ちるので2冊目にしました。


天国に行った妻の聖書。


通読用の聖書は別にあります。きれい。


******************


 説教、とても助けになっています。
昨日の説教も自分的に、時にかなった内容でした。
 以前にも書いたことですが、教職者ってのはたいていアタマよくて聖書の時代背景とかもよく調べてるので聞く(読む)ことにしぜんに引きつけられます。
 私の場合、背景や周辺知識はほとんどゼロです。


 視点が違う、考え方や読み方の違いを知るのはとても重要で、自分の信仰・考えが固定観念になる危険や傲慢になる愚かさを打ち砕いてくれます。感謝なことです。


*************


 で、やっと、本題。


信仰者はつねに現実との狭間(はざま)に置かれています。
 判断、選択、決心、ときに覚悟、が必要です。


世にあっては迫害、艱難(かんなん)、困難な状況や悪い時代、があります。
 迫害については時代と場所によっては第2次大戦のドイツとかもあったし、これからの戦争もあります。キリスト者は迫害されます。これはもう決まっていることなのです。みんなに嫌われます。場所によっては殺されます。日本でもかつてはあったのです。これからもじゅうぶんありえます。
 イエス様、聖書が言ってるのでまちがいないです。いまでもあの国では聖書を持ち込むことは犯罪ですし、見つかれば殺されます。


 そこまで大きくなくても、私らの日常でも、つねにあります。
ゆうべ、今日が休みなのでなんとなくでYouTube見ながら夜更かししていました。
 あれって、思わぬところでエロ動画にあたることがあります。
私はもういいトシですが、年齢関係ないですよね、あの誘惑は。特に私はかつてそれですごく苦労しました。キリスト者として。毎日が戦いでした。
 昔、教会の重役である女性に質問したことがあります。若い女性にはできない質問でしたが、教会の重役であることと、いいトシのオバサンだったので聞いたのです。
「マスターベーション(自慰行為)は罪ですか」って。
1発で事実上教会追放になりました。
 教会不信になりました。
(聖書的に罪ですが、教会や信者によっては罪ではないの判断もあります)


 現実には性的問題は各教会で時代を問わず常に問題をかかえてる状態です。私のまわりのクリスチャンにも「もうそうなってしまったのならしょうがない」とか「今すぐやめろ」「教会の長老がそんなのってアリか」などの知人がいます。隠れて、顕在化していないものはどんだけあるかわかりません。
 名古屋に来てからの、かつて通ってた教会での事件もそれでした。私はそれを知らんぷりで見なかったことにはできなかったので、その教会を離れました。あきらかに説明謝罪悔い改めが必用な事件でした。


 ああそれで、YouTubeのエロ動画。これは祈ってほしいです。私のために。とくに今はさびしさMAXなので誘惑は大きいです。
 以前行ってた教会でもこれはみなさんにお願いしたことがあります。
「エロ動画、見た瞬間すぐに切り替えればいいのに、しばらく注視してしまった。私にはその誘惑は大きいです。バカにせず、さげすむことなく、私のために祈ってください」と。
 若くても信仰に厚いマジメな姉妹はこう言ってくれました。
「そういうことを言える太郎さんはえらいと思います。もちろんちゃんと神様に祈ります」と。彼女は職場でもかまわず伝道してしまう熱心な女性でした。


*******************


 休みだもんで長文になっちゃった。

 ママ。45年前。
両端の女性はママの友達で、なんとヨソの銀行員。ママの要請で応援に来て祭りに参加してしまいました。ママのいる銀行もそれオッケーでした。もうこの銀行は存在してないもんね。このころが華の銀行でした。

×

非ログインユーザーとして返信する