箱、待ちかまえてた
おととい、
私の義援金の基準は「痛いな」と思う額
とか
正直言って千円は「痛い」ではない
とかエラそうに書いたじゃん。
さらに「教会で募金があれば別枠でいきます」とも。
今日、教会行ったら礼拝堂入口に。
「能登震災募金箱」
投入。
被災地は。
家も家族も失った上にいまだに水も食料も不足、トイレの不便もあるしクルマに入れるガソリンもない。生き埋め家族の確認ができないままの方々もいる。避難所生活。
想像を絶する。
「震災関連死」を防がなければならない状況。
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一方で自分自身については、ここ最近書いてるように、守りに入ってる。
精神衛生的な面で。
今日、教会の帰り。
11月26日の記事で、礼拝の帰り、遠回りして妻が仕事でかよってた道を巡る。
この時季には妻もこれを見上げていたんだなと。
今日。これが手入れされ、枝葉を落とされていました。
並木も
きれいさっぱり。
寒い時期、妻はこの風景の中を毎日歩いていたんだなと。
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状況や個人差が大きいと思うけれど、「5年」って何度か聞いたことがある。
5年後くらいにめぐって来るって。
空虚感、寂しさ。
私のばあい、時期を同じにして聴力がゼロに。
手入れされて、はだかになった木立。
やがて新緑が芽吹くのを見ながら、妻は歩き、この道をかよった。
毎日が楽しかった。猫もいて。