kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

明日は月初め礼拝/献金

教会で決まってるわけじゃなく、自分で決めてる。
 神様にささげる日。
月ごとの一定(条件)額のまとまった献金。
 月の第一日曜日の礼拝。

 万札入ってますが、これ、
「もったいない」
「そんなにとられるの?」
「毎月それを積み立てたら10年でいくらになるの?」
って思う人もいるでしょう。


これはね、信じない人にはわかりません。
「信じてるつもりでも、あくまでもそれは宗教でしょ」
と思う人にはわかりません。


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じつは、人は科学的か非科学的かを自分の都合で決めてます。
 科学や物理ってのは数学とつながってますよね。確率。


で、私は自分が体験したことをこのブログでUPしてきています。
「経験体験」カテゴリです。
私などとは比べようもない奇跡もたくさんYouTubeにはUPされてます。
あやしいのもたくさんあるので、私のおすすめはここ

あまりにも多いのでそのなかからひとつ紹介するならこれ
「イスラム・ジハード戦士、イエスに出会う」 Muslim who came to the US for Cultural Jihad Met Jesus

「イスラム・ジハード戦士、イエスに出会う」 Muslim who came to the US for Cultural Jihad Met Jesus


まあ、見なくてもいいですが。

 つまりね、私自身は数学的確率的にもう「神様の存在を知っている」わけです。

以前も書いたことあるのですが「経験体験」カテゴリの流れを確率計算できるならしてみてくださいと。あのうちのひとつかふたつならば「偶然」という言葉で片付けられてもしょうがないかなと思います。

 あれ、いわば「さいしょからねらってやってる」ようなもの。


アタマいいか悪いかは神様には関係ないです。私はアタマ悪いです。

身分も学歴も関係ないです。私は中卒の現場労働者です。


 自分が興味ないものや都合の悪いものは見ないか、見ても「フフン」とスルーします。

社会的に、人の世で通用しそうな情報には「科学的根拠がある」と決めます。

人の体験した話は「有名大学での実験ではないから」と無視します。

 これらは自分の都合でやってることです。


 イエス様が地上を歩いた時も、まったくそのとおりでした。

あれほどの奇跡を人々の前であらわしていたのに、自分たちの権威が下がるから都合が悪いと、時の律法学者や祭司(今でいえば宗教のえらいさんかな)が群衆を扇動して(ならずものをカネで買収したりもして)十字架にはりつけの刑で殺しました。

 「あいつがいなくなればオレたちの地位、権威は安泰だ」と。

背後に悪魔がいたことはそのまんまそのとーりってことです。


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最初に戻って、献金の話。
 最低賃金のところしかなかったんですよ。私には。
ハローワーク(職安)で探してた限りでは。

 ところがこれです。25年以上音沙汰なかった知人が、ちょうど私が失業中、その期間の終盤で手紙をくれたのです。


 だもんで、献金はとーぜんですよ。
信じることのできない人には理解不能なこと。しょうがないです。
 イエス様は言われました。
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」


信仰に、科学的根拠は、ありません。無いんです。ないです。
 だから「非科学的」と言われるのは当然、とも言えます。
科学的根拠があるなら、それ、「信仰」とはいいません。


 聖書で定義されてる「信仰」ってのは、まだ見てないものを現実にあるもの、あるいは手に入れたと信じること、です。
 だからよくたとえで言われるのが
「今あなたはパソコンかスマホの画面を見てると信じますか」ってやつ。
これ信じる必要ない。現にもう見てる。
「明日の今ごろも見てると信じますか」は「信じる」といえます。あるいは「いや、あすは見てないかも」ですね。不確実です。
 その不確実を確信するのが「信仰」と定義されています。


 だもんで滝に打たれるのは信仰ではありません。長い時間あーたらこーたらと同じ言葉をとなえ続けるのも信仰ではありません。
「信仰者の行い」ってのはたとえば善行がありますね。これは信仰から出てるという面があるでしょう。神様という、目では見えない、科学的根拠がないものの存在を信じるから行動できるのです。そうじゃなきゃ義援金とか寄付金って、損するだけだもんね。
 私の献金もそうです。ためときゃいいじゃん、アホらしい。になります。


現実は。私の場合。
 最低賃金で働き続けたら10年でいくらたまりますか。
私はすでに去年、安いクルマですが(トヨタヤリスの下位グレード/安全装備やドラレコつけて)一括で新車買ってます。分相応の範囲内のクルマと思ってます。仕事で使うし。


 神様は生きておられます。神様を信じる者に神様は
「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように」
と言っておられます。これエペソ書だね。 
 ここでも「信じる者に働く神のすぐれた力」なんですよ。基本は信じなきゃ神の力はあらわされません、ってことです。


 どんだけ聖書研究しても教会に通ってもアタマ使って考えても、最後は信じなきゃ始まりません。そして、信じるならさっきの「信じる者に働く神のすぐれた力」を体験するでしょう。私がそうであったように。
 だいじょーぶですよ。私みたいな程度の低い人間でも神様は
「見よ。神は強い。だが、だれをもさげすまない」です。ヨブ記だね。
これはどこだったかな
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している」
イザヤ書だ、今調べた。


ってことで、フロ(シャワー)いきます。

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