kenoブログ

**イエスキリストを信じなさい**

たのしい夢だった

最近見る夢は楽しいものが多い。
 ゆうべはどこかの子供にギターを教えていた。


フォークギターって、最初は基本のコード5つくらいを覚えて悪戦苦闘しながら押さえるんだよね。弦がとても固く感じて、そしてギターのネックにまわす指が引きつりそうになりながら。いちおういくつかコードの形を覚えておさえられるようになると、ピックでジャンジャカジャンとストロークだけで簡単な歌を歌えるわけさ。
 次のステップが指3本か4本でアルペジオに挑戦する。そのへんから教えてる夢だった。それからエレキギターが出てきて、ピッキングの練習のしかたを教えていた。ピック持って。
 ・・・夢の中では私の耳はふつーに生きてるんだ。


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私のそのころはバンド全盛期だったのかな。中学生からギター始めて、高校ではエレキギターもやってた。たいていの学校には軽音楽とかフォークソングクラブとかがあってさ。プロの音楽界では拓郎はじめシンガーソングライターだのバンド系だのニューミュージックとか言われてひとつの時代だったね。
 体育会系じゃない奴はみんなギター買って、遊びに行くとたいていそいつの部屋にギターあったよ。弾けるかどうかは別として。
楽器屋さんもそれなりに。お茶の水に楽器屋がたくさんあったじゃん。何度か行ったよ。今はもうないね。残ってるのは当時の有名どころで今は通販やってる店だけでしょ。


 ああそうだ。YH(ユースホステル)には必ずギターが置いてあった。その日宿泊の旅の若者が楽しく過ごしたよ。雑談、ゲーム、歌ったり。昭和の風景。今とはずいぶんちがうよ。ペアレントさんやヘルパーのにいちゃんがリードしてくれてさ。初対面のみんなが楽しく過ごしたあと、翌日はそれぞれの道へさようなら。出会いと別れがあって、よかったなあ。
 今そういうのないね。YHで出会って結婚て話はたくさん聞いた。ウチもだったけど。
同じ釜のメシ、文字通りみんなで食事するんだよ。晩と、朝も。いい時代でした。健全でさ。YHそのものは激減しながらも残ってる。けど、昔ながらの形態はほぼなくなっちゃったみたいだ。YHなら安心だからと女子のひとり旅も多かった。それぞれ違う人生観を語り合えるのがよかった。日本中の観光地や各YHの情報も。


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ということで「よかったあのころ」でした。

自分が持ってたフォークギターの写真がなかった。バンドではこのエレキギターを一番使っていたかな。


なーにもなくなっちゃった。

ちょっとギャップが。

 結果は撃沈だったのですが。
残念ではありますが、ちがうよな、でした。範囲外。


 まいいや。
アサイチのクモです。

 あれからコバエ出てません。警備たのむ。出たら必ず捕獲せよ。


Windowsの起動画面で勝手に出てくる写真。
 今回これでした。

 行ってみたい。
蔵王温泉スキー場。樹氷。かーちゃん生きてたら、話しすれば「行こう!」ってなったはず。


 明日からの一週間は次の日曜日まで休みなし。
がんばります。
 神様祝福してください。カラダささえてください。

クモがいた

先日、晩にパソコンモニターに。
 私はクリスチャンだから縁起かつぐことはないのだけれど、世では「夜クモ」「朝クモ」ってのが。
 つい、「どうせ出るなら朝にしておくれ」と思ったのだ。
今朝、出てきました。「朝クモ」。

 このサイズのクモだと気にならないし、これは「コバエ(小さいハエ)」を捕食するのでこのへんに居てくれていい。

最近たまにコバエがうるさい。モニターが明るいので画面上でウロウロしたりする。画面だからたたけない。クモよ、コバエ退治しておくれ。
 というか、このクモ見るようになってからコバエがいない。いいぞがんばれ。
どこかいったと思ったら、次に現れたのがここ。モニターフレームの上。

 そこで見張っとけ。


明日はアサイチ四日市だ。
 早朝出発なので寝ます。おやすみなさい。
みなさま良い夢を。

気合が入ってる

仕事帰り、ひさしぶりにスーパー寄った。


じゃーん、豪華だねえ。

ほっけとサケはそれぞれ200円が半額。だからこれで200円。てんぷらパックも半額だった。きゅうりは先につまみ食い。
 ああ、ほっとするよ、こういう夕飯。ほっけは海の味、北海道だ。
妻生きてたとき、ほっけはよく買った。干物だから焼くだけ。美味というより北の風情を味わうかんじだったな。
 このほっけは小ぶりでした。たぶん商品として値段がつけにくいから「ええい、焼いて特売にしてしまえ」ということだったと思う。時間が来てさらに半額に。寄り道するスーパーは店内厨房で作ってるから安くておいしいよ。コンビニとかドラッグストアは提携工場からの配送品なんだよね。近所のローソンは店内調理の弁当もあるけど、高価でおかずはほぼ単品。そりゃムリだろう。スーパーは生鮮材料がナンボでもあるし調理のパートさんもそろってる。

虹!

 現場のとなりが教会でした。朝、虹が見れました。
クルマ走行中はもっとハッキリ長く出ていたのですが。


先月27日の記事では
「虹は珍しいものではないけれど、自分が目にする機会はそうそうない。クリスチャンなのに「いいことあるのかな」と思ってしまうのはしょうがないかも」
と書いた。
 あれから2回見ている。


 マジで、長いトンネルをついに抜けれるのかなと期待してしまうよ。ならいいな。
聖書で虹は祝福の象徴。


 天国行った妻と出会った宮崎県高千穂YHで。45年前の写真。ハタチの誕生日を迎えた妻が撮った。私はこの時点では19歳でした。

 
 自分に良いことがあるのは理屈抜きでうれしいものだ。
でも、このトシになると、これまでに自分のまわりに「人生、いいことなんかなかった」という人々がいる。
 たまに、こう祈ることがある。
「神様、私を見てください。この私をです。あなたが良くしてくださった私をです。私は新興宗教の家庭に育ち、イエス様をののしり、その果てに校舎から飛び降りました。その私をあなたはあわれみ、あなたのもとにみちびいてくださり、こんな私の人生を祝福してくださいました。あなたに、早く伴侶がほしいと願ったら、あなたは出会いをくださりハタチで結婚しました。3人の子を育てました。おもしろおかしく幸せな人生でした。じゅうぶんに楽しみました。そしてあなたは妻を天国にあげてくださいました。この、あなたからいただいた人生、時間は、事実存在したのであって、取り消すことはできません。私はこの地上で、幸せな人生を過ごしたのです。しかし主よ、なぜですか。彼と私と、あなたから、神様から見てどれだけの違いがあるのでしょうか。神様から見れば偉大な伝道者や聖徒らも、私とナンボも違いません。あなたから見れば、犯罪者、どんな極悪人も私と違いはありません。あなたが祝福してくださったので、私は良いものを地上でいただきました。一方彼は人生で「なんで」をくりかえしました。あなたが私に良くしてくださったように彼にも与えてほしいです。天の神様から見れば私と彼の違いなどないはずです。あなたはご自分のことばで、聖書で神にはえこひいきや差別はないと言われました。私にどれほど良くしてくださったかを思い出してください。そして同じように彼にもしてあげてほしい。主よ、お願いです」