理想は簡単ではない
ってかさ、自分の愚かさがやってられない。
リタイヤして半年。
妻が死んで半年後はべつに何もなかった。
仕事してたからなんだよね。
日々に緊張感があった。
そして7年間、独りになってしまった寂しさはあったけど、仕事でした。
リタイヤしてからしばらくはやることがあったし惰性もあった。
半年過ぎて、やることがなくなり、また、独りだとなにもしなくていいということに気づいてしまった。
何もしなくても何も変わらない。
仕事してた時は、時間がない。
神経を仕事に集中して、そして家に帰りメシフロ。
与えられてる時間は限りがあった。
休みの日は買い出し掃除その他やることがあった。
「何もしなくても何の不都合も発生しない」
これが苦痛になるとは、思ってもみなかったことだ。
理想はあった。
祈りと聖書で過ごす。
これをずっと続けるなら「聖なる人」みたいになる。
何時間も、毎日祈り続けることは人々の利益になる。
イエス様の救いを知らない多くの人が救われることにつながる。
聖書も毎日何時間も読み続ければ、あらゆる人々の質問に対して、聖書で答えることができるようになる。神様との意思疎通もつーつーになる。
祈りと聖書は「霊的に敏感になる」ということ。
でもそれはヒジョーに難しいことを知った。
自分の性質。サガ。
「こんなオレにはムリ」ということだ。
きっと、できる人にはできるんだろう。
・・・耳は痛いなあ。
耳が使える状態なら、少なくともPCで音楽という趣味がハッキリしてるし、教会でも若い人たちに「バンドやろうぜ」と呼びかけれる(若いのいない・・)。
そういう活動的な環境があると、しぜんに祈りもするし聖書も読む。
なにもない状態で、時間はあるからと祈りと聖書に日々集中する「聖なる人」みたいなことはオレにはできん。残念だがこれが現実、自分の愚かさを突きつけられた。
ああ、その、半年という単位。
長年連れ添った伴侶に死なれてまったくの独り者になってしまった場合、半年後っていうのがヤマだったりする。息子夫婦など家族がいればいい。
ひとりぼっちだと鬱になてしまう人もいるらしい。さらに悪くなる人も。
私の場合同様に、リタイヤしたことで、独りであることが顕在化し、何もしなくても何も変わらないことがわかってしまった。これが半年後の今の状態。
仕事してたら、仕事そのもの以外にもやることがたくさんある。
仕事で人の付き合いもある。
どうすりゃいいんだろね。
ほっとこう。マジメに考えすぎるとアホじゃなくて別の人種になりそうだ。
ただのアホでいたほうが安全だ。

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