自分と向き合うことはしない
みんなそういう面はあるんじゃないかな。
オレの場合神様のあわれみで人生ここまで乗りきってこれたから、もうあとは今までの惰性でいくしかない。
いまさらここで自分と正対したら、もう一度飛び降りなきゃならん。
神様がすべて良くしてくれて、神の祝福の中を歩んできた。
心の内面や、耳が聞こえないこと、これらは最初からあった不具合とか経年で発生した錆(さび)みたいなもんで、これを取り除くのは解体して再生だ。
大きな手術って、それに耐える体力があるかどうかの見極めが重要。
体力残ってないのに手術決行したら死んでまうがな。
だもんで抱えたままのものをいまさら取り除くことはしない。
ゆいいつ、確率は限りなく低いけど「それはあるかも」ってのは、神様からつかわされる選びの奉仕者が目の前に来て神の奇跡をあらわすこと。私の負担ゼロで。
YouTube でそういう証しの動画があるね。
これから先の人生長くはないけど、まだまだ失敗はするだろうねオレは。
人を不快にさせたりせっかくの良い関係を破綻させたり教会を追い出されたり。
そういうことがあってもいちいち気にしてられない。
牧師でも投げたり捨てたりはするよ。
「60歳になってもそんなことグジグジ言う人いるんですねえ」
とか
「彼の体験談は自慢話ですね」
などとさげすみ、その配下の奉仕者は
「聞こえない耳でなにしに(教会に)来ていたのか」
と言い出す始末。
私の悪い性質が出てしまった失敗には
「そんなこと最初からしなきゃいい」で吐き捨てた。
これらを会衆の前で、礼拝説教中に、長年いる信者には私のこととわかるように言った。
「そっか、邪魔なんだな」
という判断でその教会を離れた。
拾ってくれた今の教会には感謝している。
神様はあわれみ深いけど、この地上はしょせん肉なる人間の世界。
あまりにも純粋だったエノクがこの世で生きるのは見るにしのびないと、神様は彼を生きたまま天にあげられた話が聖書にある。
汚れたオレは神様のあわれみと寛容で生かされてる。
イエス様は言った。
わたしがあなたを休ませてあげようと。
じゅうぶんだ。
今さら自分と向き合うのは負担でしかない。
それよりも今は一緒に暮らしてくれる女が欲しい。
これが正直なところだ。
カネも無くてこれから先不安な女性がいれば歓迎。
アンタがオマエがとケンカしながら支えあえればいい。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。