kenoブログ

**イエスキリストは私の主です**

祈りが聞かれるために

keno

 っていうのを書き出しておこうと思う。

本来は、信仰に対する手引きとか取説、ハウツーものみたいなのは私はキライだけど。

 神様は方法論や方程式で動いてくれるわけじゃないから。


 今日は午前に教会で「祈り会」がありました。

祈り会といっても、限られた数名の熱心な信者が集まり、心をひとつにして神の前に涙をもって熱い祈りを何時間も捧げる、とかではない。

 とりあえず祈りの入り口を導き、そういう場を提供しようという主旨のもの。

ちょっとしたメッセージ(説教)のあと、2~3人のグループに分かれて、10~15分くらい祈るというもの。参加者は7~8人でした。

 そのあとで軽食でお茶会。雑談。


 私にとって、こういう場での雑談はとても重要。

日曜礼拝では、私はあいさつ程度。

 あとは各委員会などの会合で私には無縁。


 自由に話のできる機会はあまりない。

私は耳がパーなので、ふだん会話がないから教会のレギュラーメンバーの情報が少ない。

 自分の「祈りのファイル」におもだった方々の名前は書き留めてあるものの、それぞれどういう人かわからない。個人情報云々ではない。祈るためには何か問題があれば、また、礼拝に一緒に来ることのないご家族は救われているのかなどがわかれば、より具体的に神様に祈ることができる。

 個々人のほかに、教会のさまざまな事情や問題や行事や課題、将来のビジョンなどなど、何事についても私はふだんの会話がないので不足している。

 ま、それはそれとして。

 

 今日は祈り会で、そのあとに雑談の機会が与えられました。

聖書知識について語り合うことができました。

 ひとつ私から話しておければよかったかなと思ったことが、

「神様に聞かれる祈り」で、その秘訣みたいなもの。

 私は方法論はキライだと言いました。

しかし「良いものは分け合え」が神(聖書)の命令。

 神はそれぞれに(異なった)賜物を分け与えておられるというのも神の言葉。


 なので、祈るときのポイント。私の経験から。

「直(す)ぐな心」を神様は好まれる。

 聖書個所はたくさんあるんだけど代表的なのが、

詩編11の7

 「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は御顔を仰ぎ見る」

第一歴代誌29:17

 「わが主よ。あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています。私は直ぐな心で、これらすべてを自ら進んで捧げました。~」


それから「悔いた心」「砕かれ、へりくだった心」

詩編51の17

 「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたはそれをさげすまれません」

詩編34:18

 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」

イザヤ57:15

 「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである」

イザヤ66:2

 「わたしが目をとめる者は、へりくだって心砕かれ、わたしの言葉におののく者だ」


罪があれば悔い改めてからとか信仰をもってとかほかにもいろいろあるんだけど、とにかくまずはこれというのが、正直(直ぐ)でへりくだった心で祈ることです。

 ほかの要素については、聖書知識があるていど必要だったりするのですが、この「まっすぐな心で正直に」というのは誰でも理解できることです。


 でもね、人の世の社会で生きる人間には難しいかもしれない。

イエス様が「子供のよう(に純粋な心)でなければならない」と言われたとおりです。

 人に何かをお願いするとき。

社会で仕事で取引で、なんとか聞き入れてもらって、こちらの願うことを達成したいときには「どのように言うか、相手の心に響く、訴え方はどうすればいいか」を考えます。

 そういう習慣がついてしまっています。

ところが相手は神様なんです。

 こちらの心の内はすべて知られてるのです。

へブル4:13

 「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」

詩編139:4

 「言葉が私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそのすべてを知っておられます」

なので神にどう取り入ろうかなどという愚かな考えは捨てて、自分でも認めたくない自分のエゴや卑(いや)しさや屁理屈も捨てて、ただひたすら真っ正直に神の前に出て、へりくだって、イエス様の御名を通してお願いすることです。

 これが私の経験上、神様が喜ばれる祈りです。

祈る前に神(聖霊)様から示されたこと(罪)があればすなおに悔い改めてください。

イザヤ59:1

 「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。あなたがたの咎(とが)が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(他マルコ11:25など同様の参考箇所多数)


ここまでにしておきます。

 ナンボでも長くなるので。